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直角三角錐の4面の関係式 ー ピタゴラスの定理の拡張

【命題】

直角三角錐の頂点に接する側面の面積をA,B,Cとし、底面の面積をDとすると、
Aˆ(2)+Bˆ(2)+Cˆ(2)=Dˆ(2)
が成り立つ。

【メモ】

・ ˆは、べき乗(冪乗)記号とする。
・3次元直交座標の原点を頂点として、x,y,zの各座標軸上の3点を取れば直角三角錐となる。

【証明】

直角三角錐の頂点に接する各辺の長さをa,b,c、底面に接する各辺の長さをd,e,fとする。
d,eを長さとする二辺のなす角度をθとする。
辺と面の各名称の位置関係は下図の通りとする。
直角三角錐

底面の面積の二乗

三角形の面積より、
D=1/2・deSinθ
Dˆ(2)=(dˆ(2)eˆ(2)Sinˆ(2)θ)/4
余弦定理より、
fˆ(2)=dˆ(2)+eˆ(2)−2deCosθ
Cosθ=(dˆ(2)+eˆ(2)−fˆ(2))/2de
二乗して、
Cosˆ(2)θ=(dˆ(2)+eˆ(2)−fˆ(2))/4dˆ(2)eˆ(2)=(2dˆ(2)eˆ(2)−2eˆ(2)fˆ(2)−2fˆ(2)dˆ(2)+dˆ(4)+eˆ(4)+fˆ(4))/4dˆ(2)eˆ(2)
Sinˆ(2)θ=1−Cosˆ(2)θ=(2dˆ(2)eˆ(2)+2eˆ(2)fˆ(2)+2fˆ(2)dˆ(2)−dˆ(4)−eˆ(4)−fˆ(4))/4dˆ(2)eˆ(2)

Sinˆ(2)θの式をDˆ(2)の式に代入して、
Dˆ(2)=(2dˆ(2)eˆ(2)+2eˆ(2)fˆ(2)+2fˆ(2)dˆ(2)−dˆ(4)−eˆ(4)−fˆ(4))/16 ・・・ 〔関係式1〕

頂点に接する面の面積の二乗の和

直角三角形の面積より、
A=(ca)/2, Aˆ(2)=(cˆ(2)aˆ(2))/4
B=(ab)/2, Bˆ(2)=(aˆ(2)bˆ(2))/4
C=(bc)/2, Cˆ(2)=(bˆ(2)cˆ(2))/4

ピタゴラスの定理より、
ア.dˆ(2)=cˆ(2)+aˆ(2)
イ.eˆ(2)=aˆ(2)+bˆ(2)
ウ.fˆ(2)=bˆ(2)+cˆ(2)

ア+イ−ウより、2aˆ(2)=dˆ(2)+eˆ(2)−fˆ(2)
イ+ウ−アより、2bˆ(2)=eˆ(2)+fˆ(2)−dˆ(2)
ウ+ア−イより、2cˆ(2)=fˆ(2)+dˆ(2)−eˆ(2)

面積の式にaˆ(2),bˆ(2),cˆ(2)を代入して、
Aˆ(2)=(fˆ(2)+dˆ(2)−eˆ(2))(dˆ(2)+eˆ(2)−fˆ(2))/16
=(2fˆ(2)eˆ(2)+dˆ(4)−eˆ(4)−fˆ(4))/16
Bˆ(2)=(dˆ(2)+eˆ(2)−fˆ(2))(eˆ(2)+fˆ(2)−dˆ(2))/16
=(2dˆ(2)fˆ(2)+eˆ(4)−dˆ(4)−fˆ(4))/16
Cˆ(2)=(eˆ(2)+fˆ(2)−dˆ(2))(fˆ(2)+dˆ(2)−eˆ(2))/16
=(2eˆ(2)dˆ(2)+fˆ(4)−dˆ(4)−eˆ(4))/16

したがって、
Aˆ(2)+Bˆ(2)+Cˆ(2)=(2dˆ(2)eˆ(2)+2eˆ(2)fˆ(2)+2fˆ(2)dˆ(2)−dˆ(4)−eˆ(4)−fˆ(4))/16 ・・・ 〔関係式2〕

結論

〔関係式1〕〔関係式2〕より、
Aˆ(2)+Bˆ(2)+Cˆ(2)=Dˆ(2) □

【問題】

1. ピタゴラスの定理は、2次元直交座標の原点を頂点として、x,yの各座標軸上の2点を取った直角三角形において成立し、上記関係式は、3次元直交座標の原点を頂点として、x,y,zの各座標軸上の3点を取った直角三角錐において成立する。
では、n次元直交座標の原点を頂点として、各座標軸上のn点を取ったn次元直角図形において、この関係式を拡張することができるか。
2. Aˆ(2)+Bˆ(2)=Cˆ(2)を満たす数の組について、そのような長さを三辺とする三角形は必ず存在するか。あればその三角形は直角三角形である。
同様に、Aˆ(2)+Bˆ(2)+Cˆ(2)=Dˆ(2)を満たす数の組について、そのような面積の三角錐は必ず存在するか。あればその三角錐は直角三角錐か。n次元においてはどうか。

【追記】

Aˆ(2)+Bˆ(2)=Cˆ(2), Aˆ(2)+Bˆ(2)+Cˆ(2)=Dˆ(2),・・・というピタゴラスの定理の拡張は、通常、n次元直交座標において原点を中心、式の左辺を成分、右辺を半径とする円,球・・・として捉える。ベクトルの成分と長さとしても捉えられるが、その幾何的根拠はともに、左辺を辺、右辺を対角線とする長方形,直方体,・・・である。この考え方では、任意のn次元で式と辺の長さが対応されているが、本ページの拡張では、2次元の場合には式と辺の長さが対応し、3次元の場合には式と側面の面積が対応している点が異なる。

参考:線形代数学、位相幾何学、単体

【問題2の前半解答】

問題2の前半「Aˆ(2)+Bˆ(2)=Cˆ(2)を満たす数の組について、そのような長さを三辺とする三角形は必ず存在するか。あればその三角形は直角三角形である。」

Aˆ(2)+Bˆ(2)=Cˆ(2)を満たす数の組があるとき、2次元直交座標に原点を中心として半径Cの円を取れば、(A,B)の点は半径Cの円上にある。(A,B)と原点を結ぶ直線、(A,B)から各座標軸への垂線(と平行線)、これら三直線を3辺とする三角形を取れば、3辺の長さはA,B,Cである。
さらに、A,B,Cを三辺の長さとする三角形が他にあるとすると、
長さCの辺の対角の角度をθとすると、余弦定理より、
Cˆ(2)=Aˆ(2)+Bˆ(2)−2ABCosθ
である。
三角形なので0°<θ<180°において、Cosθ=0となるのは、θ=90°のみであり、
Cˆ(2)=Aˆ(2)+Bˆ(2)が成立すれば、その三角形もやはり直角三角形である。 □

公開日:2017/5/7
修正日:2017/5/13 最後尾に参考を追加。
修正日:2017/5/15 【追記】を追加。
修正日:2017/5/16 【追記】「本ページでは、」⇒「本ページの拡張では、」
修正日:2017/5/16 最後尾に【問題2の前半解答】を追加。
最終修正日:2017/5/16

フェルマーの小定理の証明

【命題】

pを素数、aをpで割り切れない整数とする。
このとき、
aˆ(p-1)≡1 (mod p)
が成り立つ。

【メモ1】

・ ˆは、べき乗(冪乗)記号とし、aを(p-1)回掛けることを表わす。
・  ≡ (mod p)は合同式といい、左辺と右辺をpで割った余りが等しいことを表わす。
・ 上記の式は、つまり、aを(p-1)回掛けた数をpで割ると余りが1になることを示す。
例えば、p=7,a=3とすると、
3ˆ(7-1)=3ˆ(6)=729=7×104+1
・ まずフェルマーの小定理が成り立つこと自体が興味深いが、
数の持つどのような仕組みがフェルマーの小定理を成立させているのか、そこがさらに興味深い。
興味を感じたら群論などを学ぶと良い。

【メモ2】

以下は、合同式に不慣れな場合の参考に。
・ 合同式1
合同式の演算について、nを自然数とすると、
a≡b (mod n) ⇒ ac≡bc  (mod n)
である。
なぜなら、nでa,bを割ると、
a=qn+r, b=q'n+r
と同じ余りrであり、cを掛けると、
ac=qnc+rc, bc=q'nc+rc
qncとq’ncはnで割り切れるので、
ac,bcのnで割った余りは、共にrcをnで割った余りとなり、等しい。
・ 合同式2
次に、nとcが互いに素な場合には、、
ちなみに、互いに素とは、nとcが同じ素因数を持たない場合のことである。
a≡b (mod n) ⇐ ac≡bc  (mod n)
である。
なぜなら、nでac,bcを割ると、
ac=qn+r, bc=q'n+r
と同じ余りrであり、
ac−bc=qn−q'n
(a−b)c=(q−q')n

nとcが互いに素なので、(q−q’)をcは割り切れる。
したがって、
a−b=kn, k=(q−q')/c
をみたすkがあり、
a=qn+rならば、b+kn=qn+rであり、
b=(q+k)n+rとなり、a≡b (mod n)となる。

【証明】

べき乗の巡回

pによる余りは1,2,〜,p-2,p-1のいずれかしかない。
aにaを掛けて余りをとる操作Tを繰り返し行うと、
p-1以下ですでに現われた余りが再び現れる。
そうでなければ、1,2,〜,p-2,p-1以外の余りがあることになり矛盾するからである。
操作Tの繰り返しによって作られる数列は初期値によって決まるので、
すでに現われた余りが再び現れると、それ以降は同じ数列の繰り返しとなる。
したがって、繰り返しの最も小さな周期tと、あるiがあって、
aˆ(i)≡aˆ(i)・aˆ(t) (mod p)
となる。
aとpは互いに素なので、aˆ(i)とpも互いに素で、
aˆ(t)≡1 (mod p)
となる。

周期tはp-1の約数

次に、pによる余り1,2,〜,p-2,p-1をPとし、
a,aˆ(2),〜,aˆ(t-1),aˆ(t)のpによる余りをAとする。
Aはpによる余りの数なのでPに含まれる。
A以外にPの数があれば、それをbとし、Aの各数にbを掛けた数、
a・b,aˆ(2)・b,〜,aˆ(t-1)・b,aˆ(t)・bのpによる余りをBとする。
仮に、AとBに共通の数があったとすると、
aˆ(i)≡aˆ(j)・b (mod p)
をみたすi,jがあり、aˆ(i),aˆ(j)はpと互いに素なので、
j-i≥0のときは、k=j-iとし、j-i<0のときは、k=t+j-iとすると、
aˆ(k)≡b (mod p), 0≤k≤t-1
となり、bがAに含まれるので矛盾する。
したがって、AとBに共通の数はない。
さらに、仮に、a・b,aˆ(2)・b,〜,aˆ(t-1)・b,aˆ(t)・bに同じ数があったとすると、
aˆ(i)・b≡aˆ(j)・b (mod p), i≠j, 1≤i,j≤t
をみたすi,jがあり、aˆ(i),aˆ(j),bはpと互いに素なので、
j-i>0のときは、k=j-iとし、j-i<0のときは、k=t+j-iとすると、
aˆ(k)≡1 (mod p), 1≤k≤t-1
となり、k<tなるkもaの操作Tによる周期になってしまい、
tがaの操作Tの繰り返しにより1に戻る最も小さな数であることに矛盾する。
したがって、a・b,aˆ(2)・b,〜,aˆ(t-1)・b,aˆ(t)・bに同じ数はない。
そうすると、AとBは同じ個数で、同じ数がないことが分かった。
つまり、A以外にPの数があると、このようなBが取れる。

同様にして、A,B以外にPの数があれば、それをcとし、Aの各数にcを掛けた数、
a・c,aˆ(2)・c,〜,aˆ(t-1)・c,aˆ(t)・cのpによる余りをCとすると、
CはAと同じ個数で、同じ数がないことは分かっている。
仮に、CとBに共通の数があったとすると、
aˆ(i)・b≡aˆ(j)・c (mod p)
をみたすi,jがあり、aˆ(i),aˆ(j)はpと互いに素なので、
j-i≥0のときは、k=j-iとし、j-i<0のときは、k=t+j-iとすると、
aˆ(k)・b≡c (mod p), 0≤k≤t-1
となり、cがBに含まれるので矛盾する。
したがって、CとBに共通の数はない。
そうすると、AとBとCは同じ個数で、同じ数がないことが分かった。
つまり、AとB以外にPの数があると、このようなCが取れる。
同様にして、Pに残りの数がある限り、D,E,F,〜を取っていくと、
Pは有限個なので、この操作は有限回しかできない。
これらの数の集まりの個数はすべてAと同じ個数なので、
p-1個を同じ個数で分けることになり、Aの個数tはp-1の約数であることが分かる。

結論

したがって、
p-1=kt, 1≤k≤p-1
をみたすkがあり、
aˆ(p-1)≡aˆ(tk)≡(aˆ(t))ˆ(k)≡(1)ˆ(k)≡1 (mod p)
aˆ(p-1)≡1 (mod p)
となる。 □

公開日:2017/5/5
最終修正日:2017/5/5

素数が無限にあることの証明

【証明】
すべての素数をXとする。Xの個数は有限又は無限である。
仮に有限しかないとすると、それらすべてを掛け合わせることができ、
掛け合わせた数をxとすると、xも有限である。
x+1は少なくとも一つの素数で割られる(後で証明する)ので、その素数をpとする。
Xのどの素数もx+1を割ることはできないので、pはXにはない。
これはXがすべての素数であることに反する。
したがって、素数は無数にある。 □

自然数nは少なくとも一つの素数で割られることの証明

nが素数の場合には、nで割ればよい。
以下、nは素数でないとする。

【メモ】
ちなみに、自然数とは1以上の整数である。
素数とは自然数nでnと1以外には割られない数である。
aがbで割られること、a=bcであること、bがaの約数であることは同値である。

【証明1】
自然数nは一意に素因数分解されるので、少なくとも一つの素数で割られる。 □

【メモ】
自然数nが一意に素因数分解されることは、算術の基本定理と呼ばれる。
素因数分解とは、自然数nと等しい素数の積を見つけることである。
一意というのは、そのような素数の組が一つに定まるということである。
よく考えると、【証明】では一意であることや素因数分解されることは使っていない。
したがって、次の証明が考えられる。

【証明2】
自然数nが一意に素因数分解されることを用いない。
自然数nにnと1以外の約数があれば、その約数xを一つ取り、同様の操作Tを繰り返す。
操作Tの対象となる約数は、前操作の約数よりも小さくなる。
自然数は下に有限なため、一連の操作はxと1以外に約数のない数を取って終了する。
そのようなxは素数であり、pとする。

次に、自然数nの約数をm、mの約数をlとすると、
n=km、m=k’lより、n=(kk’)lとなり、
lはnの約数となる。
つまり、自然数nの約数の約数は、nの約数でもある。

操作Tは、自然数nの約数を取る操作であったので、
操作Tの繰り返しで取られた素数pもnの約数である。
したがって、自然数nは少なくとも一つの素数pで割られる。 □

【証明】の論理構造の考察

【証明】の論理構造を考察すると、その骨格は、
命題A「すべての素数は有限である」という仮定の下で、
命題B「すべての素数をXとする」⇒命題¬B「Xはすべての素数でない」という矛盾を導き出している。
つまり、A⇒(B⇒¬B)である。
そして、すべての素数は有限でないから無限であると結論する。
では、すべての素数が無限であれば、有限の場合と同じ操作を行っても矛盾は生じないのだろうか?
もしも、矛盾があったとしたらどうなるのか?

まず、命題C「すべての素数は有限又は無限である」について考える。
無限を「大きすぎて考えられない数」と捉えれば、有限は「大きくなくて考えられる数」であり、
つまり、すべての素数は「考えられる個数」又は「考えられない個数」かであると主張している。
では、「考えられる」とは何か、それは「全体をXと対象化したり」「全体Xから一部を取り出したり」「すべてを掛け合わせたり」「+1などの四則演算をする」ことなどである。

無限はどの操作ができてどの操作ができないのか。少なくとも無限とは「命題がその数を含むと、命題が真偽不明になる、つまり命題でなくなる場合のある数」と言える。そこで大切なのは、無限を含むどのような命題が真偽不明になるのかを明確にすることである。さらに言えば、命題を伴わない有限・無限という枠組みを一度捨てて、そのような各命題によって相対的に有限・無限を定義したり、分類したりすることもできるだろう。

今回で言えば、命題D「すべての素数は無限個である」は真としているが、命題E「無限個の素数をすべて掛け合わせた数がある」や命題F「無限個の素数をすべて掛け合わせた数+1という数がある」は命題として扱っていない。
では仮に、命題として扱い矛盾が生じたらどうなるか。命題Cは有限又は無限のどちらでも矛盾するので、命題C自身が矛盾することになり、すべての素数が有限又は無限でない何かであることを示すか、さもなければ「すべての素数を対象化すること」が矛盾を抱えるので、すべての素数をまとめて扱う議論は大きな制約を受ける。
そこで、命題EFを真偽不明として、命題としては扱わずに切り捨てれば矛盾も生じず、命題Cを前提として命題Dが真となる主張が保たれ、素数をまとめて扱う議論が可能となる。つまり、「全体をXと対象化したり」「全体Xから一部を取り出したり」するのを可とし、「すべてを掛け合わせたり」「+1などの四則演算をする」のは不可とするのである。

ただ、命題EFを切り捨てると不完全になる。
そこで、直観的な観点から、
「無限個の1以上の数を足したり、掛け合わせれば無限になる」
「無限の四則演算を「∞=∞+n,∞=∞×n(1≤n)」とする」
これらの命題を前提とすれば、
x=∞、x+1=∞で、
「x+1は少なくとも一つの素数で割られる」は、x+1=∞=∞×pで真であり、
「Xのどの素数もx+1を割ることができる」ことになり、
pがすべての素数Xに入っていても矛盾を生じない。
つまり、すべての素数が無限であれば、有限の場合と同じ操作を行っても矛盾を生じなくなる。

公開日:2017/4/19
修正日:2017/5/5、【メモ】4行目「素因数分解されること」を追加
修正日:2017/5/15、【証明】「すると、すべての素数をXとして、それらを」⇒「すると、すべての素数をXとできる。それらを」
【証明】「どの素数についてもx+1は割られないので」⇒「どの素数もx+1を割ることはできないので」
【証明2】「素数pはnの約数」⇒「素数pもnの約数」
修正日:2017/5/19、最後尾に「【証明】の論理構造の考察」を追加
【証明】を有限だと矛盾を生み、無限だと矛盾が回避される論理構造が明確になるように修正
修正日:2017/5/20、「【証明】の論理構造の考察」の1段落目後半に「では、すべての素数が無限であれば、同じ操作を行っても矛盾は生じないのだろうか?もしも、矛盾があったとしたらどうなるのか?」を追加
2段落目を「ことなどである。(改行)無限はどの操作ができてどの操作ができないのか。」で段落分け
3段落目「は真偽不明であり、命題として扱っていない。」⇒「は命題として扱っていない。」
3段落目「そこで、命題EFを命題として扱わずに切り捨てれば矛盾も生じず、」⇒「命題EFを真偽不明として、命題としては扱わずに切り捨てれば矛盾も生じず、」
最終修正日:2017/5/20

4.国語と数学と英語 -なぜ・何を・どう学ぶのか-

このページの内容は以下の通り。
・国語について補足
・数学について補足
・英語について補足
・反復の重要性

国語と数学と英語の必要性と勉強方法については、以前に解説した記事があるので、まずそちらを読んでもらいたい。
国語と数学を学ぶ必要性と勉強方法
英語を学ぶ必要性と勉強方法
その上で、以下に補足を付ける。

国語について補足

国語は、人が物事を考えるための基礎であり、各学問を理解するための土台となる学科である。考えることと文章を書くということは表裏一体であり、説得力ある文章を書ける、一定の作文能力を身に付けておくことがどのような仕事を行う上でも重要になる。

数学について補足

数学は、科学の土台であり中心である。科学、つまり自然を理解し表現すること、そのための言語のような学科である。とくに18世紀から現在に至るまで、数学の発展は著しく、今後、あらゆる側面で科学の裾野を広げ、理論を深めていくことになる。文章の書き方を学ぶのと同じくらいに、物事を数学で考えて表現することが、仕事を成功させる上で重要になる時代がもうすでに来ている。

英語について補足

英語は、世界の共通言語である。英語を学ばなければ、世界の多くの知識に触れることができない。逆に、英語さえできるようになれば、その多くの知識を学ぶことができる。習得する価値の高い言語といえる。

反復の重要性

最後に、勉強の仕方で最も大切なことは反復することと指摘しておきたい。何事も基本ができていなければ応用はできず、応用を経験して初めて基本の理解が深まるという両側面がある。とくに本の読み方を例に挙げると、文章は複雑な内容を表わすにもかかわらず、一列に情報を綴るしかない。そして、初めて読む文章であればなおさら、前から後ろに直線的に読んでいくしかない。それはプログラミングや遺伝子の情報に似ている。初めて読んで分かることは、各重要部分の内容とぼんやりとした全体像くらいである。それを繰り返し読み込むことで、各部分同士の関係や全体と各部分の関係が分かり、各部分を細かく、そして全体を広く、理解できるようになるのである。このように本を読むにしても、知識を身に付けるにしても、基本を反復し、基本と応用を繰り返すことが非常に大切である。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年10月31日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。結語を修正。
公開日時:2017年3月17日

一般教養(リベラル・アーツ)をウィキペディアで学ぶ

キーワードフォルダのトップページを、ウェブ百科事典であるウィキペディアで一般教養(リベラル・アーツ)を学べるようにリニューアルしました。キーワードフォルダとは、弊社が開発しているウィキペディア専用の検索エンジンです。 >> キーワードフォルダ

キーワードフォルダで学べる一般教養とは、西洋の文脈での教養いわゆるリベラル・アーツを指し、現代日本社会の土台となっている基礎知識です。リベラル・アーツとは、自由の技術、つまり、学ぶことで自らと他者の可能性、自由を広げることのできる知識を意味し、西洋の伝統においては、大学の教養過程で学ぶ学科を指します。明治期、旧制高校や旧帝大の学生さんたちが一生懸命、読んでいた類の本と言えば分かりやすい方も多いかもしれません。どの知識も嘆息するほどに洗練され、理解し、身に付けるには多大の労力を必要とします。しかし、その入り口を知っていることは、この社会で生きて行くために必要なことばかりです。考える力を磨くことにもなります。具体的には、重要かつ必須の項目を列挙すると、道徳と宗教に対する理解、論理に対する理解、数学と科学に対する理解、法律に対する理解、文章と語学と議論の能力などです。どのような考え方にもとづいて知識が選ばれているかは、なぜ学び、何を学び、どう学ぶのかをお読みください。

スマホでもタブレットでも読みやすくしてあるので、時間の空いた時に思い出して、少しづつ読み進めることができます。高校生や大学生など、時間を掛けてきちんと学ぶことのできる方は、ウィキペディアが「誰でも書き込めるウェブ百科事典」であることに注意して、紹介されている参考文献(原典)を読むようにしてください。もし、高校生(中学生)の間にこれらの本に触れる機会があれば、学力は自ずと伸び、視野もひらけ、進路選択にも役立ち、将来の生活の基礎となる学びになります。難しくても諦めずに、理解しようと取り組むことが大切だと思います。挑戦してみてください。

例えば、こんな質問に答えられることを目標としてみてください。
・世界でイスラム過激主義が問題となっています。では、なぜイスラム過激主義者は欧米やキリスト教社会を敵視するのでしょうか。そもそも、キリスト教とイスラム教の異なるところ、同じところ、その関係性はどうなっているのでしょうか。
・道徳と宗教の違いは何でしょうか、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、神道、儒教の異なるところ、同じところはどこでしょうか。
・君の発言は論理性に欠けると言われました。では、論理とは何なのでしょうか。国語の先生が小論文で解説する論理と数学の先生が解説する論理は違う気がしますが、なぜですか。法律や科学も論理が大切と言われますが、すべて同じことを言っているのでしょうか。
・自分は文系なので、数学がどう社会の役に立っているか分かりません。とくに大学で習うような抽象的な数学は、どのような場面で用いられているのでしょうか。
・自分の考え方は、あるときは論理的じゃないと批判され、あるときは科学的じゃないと批判されます。二つの言葉に違いはあるのでしょうか。
・自分は理系ですが、法律がどのような場面で必要になるのか、今いち分かりません。とくに最近の憲法、安保法制、特定秘密法、共謀罪などの議論で、なぜ論争が起こるのでしょうか。
・私は会社員ですが、友人が脱サラしました。事業運営には、会計と法律の知識が必須だと言っていましたが、会計が必要なのは分かりますが、法律知識もそれほど必要なのでしょうか。
・文系、理系と分かれてしまう日本社会はイノベーションを起こしにくいと聞きました。そもそも、幅広い知見や多様性がどうしてイノベーションに必要なのでしょうか。

5.対象と関係、関係論理 -なぜ・何を・どう学ぶのか-

このページの内容は次の通り。
・対象の必要性と独立した対象の不存在
・関係の必要性と相対性
・対象は関係によってのみ規定される
・関係論理
・命題論理は関係論理
・結語

第3章で物事を正確に考えるための方法論が、学問の基礎となっていることを紹介した。その方法の基本は、どんな知識も完全に正しいことはないと知ることであった。さらに、だからこそ、不明確な知識を一つ一つ問うことで明確にしていくことが、知識を正しいものに近づけていくことになる。そして、知識を問う方法には、知識を全体で捉えず部分に分けたり、比較して同じところと異なるところを分けたりするなど、様々な手法がある。ここでは最後に、私が考えた知識を問う手法、具体的には知識を対象と関係に分けて考える手法を説明したい。

対象の必要性と独立した対象の不存在

物事を考えるときには何を考えるのかをはっきりと決めなければいけない。それを考える「対象A」と呼ぼう。ここで、考える対象を明確にすることが、考えることの前提であることに注意したい。考える対象を定めないということは、何を考えているかも分からないことと同じだからだ。ただ、その対象Aがあるということだけでは、その対象Aのことは何も分からない。なぜなら、対象Aだけを考えるということは対象A以外に何も考えないということであり、それはつまり、対象Aしか存在しない世界を考えるということである。それでは対象Aであることの区別もその存在さえも確認することはできない。

例えば、あなたは今、地面に立っていて、友人と話すとおもしろくて、空を見ることが好きだとする。そうすると、地面も友人も空もない世界では、あなたのこれらの特徴は現れない。けれど、地面と友人と空があれば、あなたのこれらの特徴を確認することができる。さらに、友人は、地面に座っていて、あなたと話すとつまらなくて、空を見ることが嫌いだとすると、それがあなたと友人との区別にもなる。

地面も友人も空もない世界などないのだから考えても仕方がない、とあなたは思うかもしれないが、今ここで議論しているのは実際の世界ではなく、実際の世界から抜き出された考える対象のみの世界である。物事を考えるときに一度にすべてのことは考えられない。一度に考えられることはぼんやりとであれ、はっきりとであれ、実際の世界からするとほんのわずかなことだけである。

同様に、あなたを考えるときに、あなたの顔や手や友人との思い出、その他諸々のあなたの必須の特徴を抜きにあなたを考えることはできない。だから、あなたしかいない世界を考えることはできないと思うかもしれないが、それはその通りで、あなたしかいない世界は考えられない。しかし、あなたを考えるときには、あなたの顔や手や友人との思い出、その他諸々の必須の特徴を、その一つ一つを何を考えて、何を考えないのか、あなた以外の対象として明確化して考える必要があるのだ。

関係の必要性と相対性

このように、対象Aを考えるためには、少なくとも他の対象Bを見つけて、対象Aと対象Bがどう関わり合っているかを考える必要がある。それを対象Aと対象Bの「関係C」と呼ぼう。例えば、あなたが、立っていて、話すとおもしろく、見ることが好きなのは、地面、友人、空という対象で、これらはその対象とあなたとの関係である。さらに、あなたは、地面に話すとおもしろく、友人を見ることが好きで、空に立っている、のではない。つまり、立っていて、話すとおもしろく、見ることが好き、というあなたを特徴付ける関係は、対象によって異なり、相対的に決まることも分かる。

対象は関係によってのみ規定される

この関係による特徴付けを推し進めると、対象はその対象に紐づけられた関係によってのみ規定され、対象は名付けとそれらの関係を紐づける役割だけを持つようになる。どういうことか。対象Aを問う、つまり考えるということは、実際の対象Aの内容について、その他の対象B1、B2、B3・・・と対象Aとの関係C1、C2、C3・・・を見い出していくことである。この括り出しによって、実際の対象Aの内容は考える対象として明確化される。そして、考える対象としての対象Aは、明確化された対象B1、B2、B3・・・と関係C1、C2、C3・・・しかない。なぜなら、他に実際の対象Aの内容があったとしても、それは考える対象として明確化されていないのだから。そうすると、考える対象としては、対象Aは対象B1、B2、B3・・・と関係C1、C2、C3・・・によってのみ規定され、対象Aはそれらの関係を紐づける名付けの役割しか果たしていないことになる。つまり、対象が関係によってのみ規定される、関係中心の考え方ができる。

同様の括り出しが対象B1、B2、B3・・・にも行われるし、関係C1、C2、C3・・・も関係であると同時に考える対象であるから、同様の括り出しが行える。そうすると、物事を正確に考えるということは、新たな対象と関係を見出し、さらにそれを対象として、新たな対象と関係を見出していくことの繰り返しに他ならないことが分かる。対象と対象の関係が見い出され、紐解かれたときに、物事の正確な理解ができたと言える。

関係論理

これをより正確に、論理という形で表現することもできる。つまり、関係は正誤の判定の対象となりえるので、命題と考えることもでき、命題を関係に置き換えた論理、つまり、関係論理を考えることができる。上述のように、対象は名付けの役割のみを果たし、関係こそが物事の本質なので、物事を論理的に理解するとは、物事の関係を正誤を明確にしながら紐解くことと同じであることが分かる。

命題論理は関係論理

考えと表裏一体である言葉について考察すると理解はより深まる。言葉と物事には直接的な対応関係がある。さらに、物事の中に成り立つ関係があり、言葉の中に成り立つ関係があり、その両者にも対応関係がある。もしも、ある単語について、物事との対応関係と他の言葉との関係を切り離せば、その言葉は何も意味せず、ただの記号になる。つまり、言葉の意味は、これらの関係によって成立し、規定されている。命題は言葉によって作られており、言葉の意味は物事と他の言葉との関係によって作られている。それはすなわち、命題が言葉の持つ関係によって作られていることを意味する。ここで、言葉と物事には直接的な対応関係があるので、命題は物事の関係によって作られていることが分かる。

結語

以上のように、すべての対象は他の対象なくして存在せず、他の対象との関係によって規定される。よって、物事を考えるときには、物事を対象と関係に分けて考えればよい。そして、関係を考える対象としてもよく、複数の対象と関係を新たな考える対象としてもよく、逆に対象の中に新たな対象と関係を見い出してもよい。複雑な物事を考え、分析し、整理するときには、このように自分が考えている対象とその関係を明確にすることが大切である。そして、そのすべての対象を問うことが大切である。それらを言葉と図に書き起こしてみるとよい。

最後になるが、第3章より正しさを得るためには理由が必要であるということを学問の前提としてきた。その前提こそが、道徳や宗教が学問とは大きく異なる点であることを指摘しておく。つまり、学問は仮定を仮の正しさとするが、道徳や宗教は正しさを理由なく受け入れるところから始まる。愛に理由はなく、理由を問い続ける不完全な学問では、人は不完全な幸せしか手に入れられないだろう。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年9月5日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。
最終修正日:2017年3月17日

2.現代社会の文化と文明 -なぜ・何を・どう学ぶのか-

このページの内容は次の通り。
・社会、世界、歴史を知ること
・現代文明の基礎は西洋の学問にある

社会、世界、歴史を知ること

人はみな、人の中で生きている。人の集まりを社会という。現代社会で生きている人がよりよく生きるためには、その現代社会をよく理解する必要がある。現代社会がどのように成り立っているのかを知り、社会に育まれた文化と社会が発展させてきた文明を理解することで、人は心地良く生き、満足いく貢献をすることができる。

今、この世界を見ると国と国の垣根は下がり、瞬時に必要なことを知ることができ、世界と日本との違いもほとんどないように見える。日本にいてできないことはない、学べないことはない、そんな気にもなる。しかし、いかに通信網が発達し、交通網が発達しても、依然、日本は日本であり、日本人は日本人の文化と思考を持っている。それは他国民も同じである。自らが学ぼうとしなければ、日本文化も、他国の文化も学ぶことはできない。どちらも、知っているとたかを括ってはいけない。自国の文化を知らないことは問題であるが、他国の文化を知らずに自国の文化を理解することもできない。当たり前と思っている習慣にこそ自国の最大の特徴があることも多い。良い習俗を保ち、悪弊を廃する、人は最善を目指すことが常に求められている。

何かを学ぶためには、何事でもその過去、歴史を振り返り、源流をたどることがとても大切だ。今あることだけを見ていては分からないことがある。くわえて、人からの伝聞ではどうしても質が落ちる。自分の手を動かして原典にあたることが必要になる。

現代文明の基礎は西洋の学問にある

現代文明の基礎には学問がある。現代文明における学問の価値については、次章において詳しく説明する。しかし、残念ながら、現代文明の要となる学問の礎を築いたのは日本ではない。主に、明治時代に西洋から日本へ導入された。当然のことながら、現代の学問、例えば科学や法律の恩恵を否定するわけにはいかない、そうであるならば、これを知るには西洋の原典を学ぶことを心がけるしかない。日本の過去を学ぶことは自国民として当然である。と同時に、優れた文明はすべての民族に平等であり、どこから生まれたかよりも、どこが受け入れ、育んでいるかの方が大事である。日本が現代文明の特長をより深く継承し、発展させた文明国として歴史に残ることを皆が願っている。

高校までは、習った知識がどこで生まれ、どのような考えを持った人たちによって生み出されたかを学ぶ機会が非常に少ない。しかし、知識を深く理解し、それを発展させていくには、その背景を知る必要がある。西洋文明の大きな源流はギリシャ文明とキリスト教にある。異質な両者がどのように絡まり合い、反発し、支えられながら、西洋文明が育まれていったかは非常に複雑で興味深い歴史である。その歴史を知ることは現代社会を知ることそのものともいえる。

時に応じて、自分の興味を持った学問の歴史をたどってみるとよい、自ずと西洋文明の過去を知ることになる。次第に知識が分野を越えて横に繋がり、全体像も見えてくる。一つ、科学史をその導入として学ぶのもよいと思う。村上陽一郎先生の著作をお勧めする。西洋の大学では、大学教養課程をリベラル・アーツと呼び、現代社会において自他の自由を広げる技術、さらに学問の基礎として、現代社会の文化と文明の要となる知識を学んでいる。次章では、その要となる知識をより具体的に説明していきたい。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年8月31日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。
最終修正日: 2017年3月17日

3.学問と論理、とくに科学と法律 -なぜ・何を・どう学ぶのか-

・学問、とくに法律と科学を学ぶこと
・学問、論理とは何か
 命題について
 理由について
 前提について
 学問、論理の不完全性
・科学とは何か
 仮定を立てること
 実験について
・法律とは何か
 民主主義とリベラル・アーツ
 民主主義と学問の源流、ギリシャ
 民主主義に必要とされるリベラル・アーツとは

人から考えることを取り去ってしまえば、人はその他の動物と同じである。人は正しいことを知り、正しいことを行う。これが道徳や宗教である。人が集まり、社会を形づくるためには、互いに決められた約束や規則を守る必要がある。それが法律である。人は裸で生きているのではない。自然を知り、手を動かすことによって物を作る。それが科学技術である。物を法にもとづき受け渡しする。それが経済である。科学にもとづき病を治す。それが医学である。人がよりよく生きるために考える。それがすべての学問の基礎になっている。

学問、とくに法律と科学を学ぶこと

人がよりよく生きるために築いてきた現代社会は、あらゆる側面で様々な学問に支えられている。そこで生活するには、多少なりともそれぞれの学問を知る必要があるし、人のために働く、つまり仕事をするには、その仕事に係る学問をしっかりと学ぶ必要がある。そうしなければ、なかなか満足のいく仕事はできないことが多い。現代社会においては、多くの人が協力し、分業して仕事をしている。それに応じて多くの約束や規則が必要になる。法律は複雑になり、それを理解することは社会で活動していく上でとても重要となる。一方、現代社会は物質文明でもある。物を計算する経済も大事ではあるが、物がなければ経済は始まらず、物を作り出す科学を学ぶことがより重要となる。現代社会においては、あらゆる物事にこの二つ、法律と科学が関わっている。一度、親の庇護を出て、何かしらを行おうとすれば、法律と科学の知識があなたの自由を制限もし、逆に広げもする。だから、学問、とくに法律と科学を学ぶことは、あなたやあなたの周りの人の生活を、少なからず物質的に豊かなものにする。

そこで、ここでは学問、とくに科学と法律の基礎を書きたい。何事も基礎を知れば導入も早く、成長も大きい。それだけではなく、この社会で生きていて「論理的に話してください」「科学的に話してください」などと注文を付けられることは、必ず一度や二度はある。その相手が何を「論理的」「科学的」と言っているのか、ここに書いてあることを理解すれば、その相手の言いたいことは理解できるし、あるいは、相手が理解していないことを知ることになるかもしれない。どちらにせよ、それほど動じる必要はなくなる。

学問、とくに科学と法律は、現代社会の土台であるので、その内容には正確さが必要とされる。逆に言えば、科学と法律の、その正確さゆえにこれほど高度な現代社会を築けている。前章の最後に紹介した西洋の大学で学ぶリベラル・アーツの中心には、その正確さを担保するための考え方、言い換えると、物事を正確に考えるための方法論がある。つまり、ソクラテスの問答法から始まり、デカルトの懐疑主義・合理主義とロックの経験主義の流れが科学と法律の考え方の土台を形づくってきた。その具体的な内容は、これらの知識を紹介している一般教養(リベラル・アーツ)をウィキペディアで学ぶを参考にしてほしい。ここでは、私の言葉で学問とくに科学と法律を基礎付けている論理について、そしてさらに科学と法律のより詳しい考え方について、説明をしたい。

学問、論理とは何か

何も考えずぼんやりと花を見ていてもそれは学問とは言えない。花を見るにしても何かを考えながら花を見ていれば、それは学問になりえる。つまり、「考える」という行為なくして、学問は成立しない。それでは、何をどう考えれば学問なのか。

命題について

花を見つけて、「この花は綺麗だな」と考えたとする。この考えには何の論理もない。一方、この考えを横にいる友人に向かって伝えたときに、友人が「綺麗かどうか」と考えたとする。この友人の考えには論理が生まれている。この友人はこの花が綺麗か綺麗ではないか、どちらであるかを考え始めているからである。つまり、論理の論とは、ある考えが正しいか間違っているかを判定する考えのことである。この正誤の判定の対象となる考えを命題、主張などとも呼ぶ。

理由について

命題、主張はそれだけでは、正しいか誤りか分からないのであるから、どちらにせよ別の、正しいことの理由、誤っていることの理由を必要とする。この理由を根拠、証拠、事実などとも呼ぶ。理由Bにより命題Aは正しい。これが最も小さな論であり、どのように正しい論を作るかが論理である。よく使われる言い回しの論理的というのは、正しい論が作られているという意味である。

前提について

さらに、論理について考えていく。論A「理由Cにより命題Bは正しい」があったとすると、論Aの正しさはどのように証明されているだろうか。分析してみると、「理由Cは正しい」と「理由Cが正しければ命題Bは正しい」という考えが論Aに隠れていることが分かる。ここでその考えはどちらも正誤の判定の対象となるので、どちらも命題と言える。つまり、論Aは隠れた命題D、Eの正しさによって証明されていたことになる。この隠れていて正しいと仮定される命題を前提と呼ぶ。ここで分かったことは、論Aの正しさは他の命題の仮定された正しさで証明されていたことである。では、論Aの正しさを完全に証明するためには、命題D、Eの正しさを証明しなければならない。しかし、たとえ命題Dを他の理由Fで証明したとしても、さらに理由Fの正しさも証明しなければならない。このように、論Aを証明するには無限の命題の正しさを証明しなければならず、論Aを完全に証明することはできないことが分かる。つまり、どこかで正しさを仮定した命題、つまり前提が必要となるのである。

学問、論理の不完全性

この議論から、自分が何か正しい主張をしたと思っているときには、その正しさは決して完全ではなく、何らかの前提に基づいていて、いつでもその主張が覆される可能性があることを知る必要がある。これは古くからギリシャの哲学者ソクラテスが「無知の知(無知であることを知ること)」と指摘してきたことであり、物事を考えるときには謙虚であらねばいけないという戒めでもある。新しい命題はいつどのように見つかるのか分からない、論を立てるときには考えの柔軟性が最も大切であることを知るべきである。

以上のような論理のある考えが学問とくに科学や法律の基礎と言える。学問が基礎とする論理に不完全さがあるのだから、学問も不完全であることをきちんと認識する必要がある。さらに、その不完全さへの認識こそが学問を発展させる原動力でもある。

学問という言葉は、素晴らしい言葉だと思う。学び問うことこそ学問の本質だからだ。先人の築いた知識を学び、そして問うことでより深く理解し、さらにその知識を発展させる。何よりも研究対象に対して問い掛ける姿勢こそ、新たな発見を生じ、学問を発展させていく。この学び問うことを続けていけば、あなたの生み出すことのできる最大の成果が、必ず得られることと思う。

科学とは何か

学問の中でも科学は、さらに二つの、正確さを保証するための考え方を持っている。一つは考える対象の量を計ることである。量を計ることでより正確に、さらに時間と場所を越えて、様々な対象を比較することができるようになった。これを定量化と呼ぶ。次章では、数学の科学における価値をより詳しく見ていきたい。もう一つの考え方についてはそれを説明する前に、もう一度、論理について話を戻したい。

仮定を立てること

より普遍的な理論は、より論理の正確さを求める。そこで、できる限り前提を排除するために、いくつかの仮定を立て、その仮定のみを根拠にして多くの命題を導き出していく。数学の場合、その仮定を公理、定義などと呼び、物理の場合、原理、原則、法則などと呼ぶ。その仮定と導き出された命題の全体を理論、理論体系、公理体系などと呼ぶ。先程の議論の通り、仮定は正しさを仮に認めただけの命題なので、仮定を根拠にした理論の中のすべての命題も仮に正しいだけである。ただ、自然の真理をより深く汲み取った仮定とその理論が、私たちにより深遠な自然の姿を表してくれる。だから、自然に対して問うこと、そして仮定を問うことが、数学と科学において最も大切な姿勢になる。

実験について

科学の場合、理論に含まれる命題について、時間と場所を越えて、実験でその正しさを確かめていく。これが科学の持つ正しさを保証するためのもう一つの考え方で、再現性と呼ぶ。ただ、仮定により導き出された命題の正しさを確かめることが、その仮定が正しいことを補強する唯一の根拠であり、その仮定を立てる唯一の目的でもあるのだから、科学において再現性を求めることは当然のことである。仮定や前提を常に問い続けるということは、実験を常に謙虚な姿勢で行うということでもあり、肝に銘じておきたい。

法律とは何か

最後に法律について説明すると、法律は論理に加えて、第一章で説明した道徳や宗教がその基礎になる。人や国にとっての幸福とは何か、正義とは何か、意思や自由とは何か、これらに対する答えが政治制度、経済制度、刑事制度などを決定する原理になり、それに基づいて社会を律するためのルールが法律である。

民主主義とリベラル・アーツ

では、どのような原理があるのか、詳細は先に紹介した一般教養(リベラル・アーツ)をウィキペディアで学ぶで学んでほしい。ここでは、現代の法律、つまり現代社会で最も重要な基本原理である自由、民主主義について解説する。さらに、民主主義を支える国民に必要な一般教養がリベラル・アーツであること、それが何を意味するなのか。なぜ、西洋では一般教養(大学教養課程)をリベラル・アーツというのか。民主主義とそれを支えるリベラル・アーツを学ぶ上で重要な点を指摘する。

民主主義と学問の源流、ギリシャ

リベラル・アーツを直訳すると自由の技芸という意味である。その源流はギリシャ人にある。ギリシャやローマにおいて自由民が身に付けておくべき学問や技芸を指す言葉であった。現代的に言い換えると、自由であるための技術、自由を行使するための技術である。だから、そもそも自由とは何か、自由にどのような価値があるのか、様々な幸福と自由がどう関係するのか、自由がどのように犯されるのかを知ることが、リベラル・アーツの出発点となる。そして、自由民であるギリシャ人が採った政治体制が、民主主義の一形態である共和制である。共和制とは、王がほとんどの権限を独占する専制君主制とは違い、自由民が総意で主権を行使する政治体制である。

そして、専制君主制ではなく共和制を採用し、自由民であることを誇りにしたギリシャ人から、政治だけではなく知識においても人の権威を否定したソクラテスのような人物が現われた。上述した論理学を発展させたのもギリシャ人だった。これらは偶然ではない。一人の人間が説明なく何かを決めるのでなく、正確かつ客観的な議論で互いに納得のいく結論を導き出す、そのような民主的な自由民の習慣が論理、ひいては学問を発展させたのである。法律を尊ぶのも、一人の人間の決定よりも、皆で決めたことを尊ぶからである。信仰・思想信条の自由を尊ぶのも、一人の人間の決めた幸福よりも、皆が互いの幸福を尊重するからこそである。これらは、個人の自由と民主主義なくして、信仰・思想信条の自由もない、法治主義もない、学問の自由もない、経済の自由もない、経済発展もないという、現代の民主主義、資本主義の基本原理である。

民主主義に必要とされるリベラル・アーツとは

民主主義とは、文字通り民が主となる政治制度であり、その前提に民の自由がある。その自らの自由を守り、行使するための、自由民の一般教養がリベラル・アーツである。つまり、自由民を自負する人々だからこそ、西洋においてリベラル・アーツは現代でも一般教養なのである。各時代、各教育者によってリベラル・アーツの具体的な内容は異なるが、現代におけるリベラル・アーツを考えたときに、この一連の記事の第4章までの学科は少なくとも必須である。つまり、道徳と宗教に対する理解、論理と科学に対する理解、法律とくに自由と民主主義に対する理解、文章と語学と議論の能力である。民主主義を支えるためには、他者の主張の正誤を判断できなければならず、さらに自分も正確に考えて、それを正確に伝えなければならない。これらの学科は、それを国際化する社会で実践するのに必要である。

民主主義、資本主義は現代の日本の社会制度である。自由の価値、強さ、危うさを知り、自由を守り、発展させるのは日本国民である。だからこそ、リベラル・アーツは日本において広く一般教養として学ばれる必要がある。さらに、バブル崩壊後の停滞の教訓として技術を覚えるだけではなく生み出す必要があると考えれば、これからの日本にとってはより大切な考え方になったといえる。くわえて、経済格差が個人の自由と民主主義を脅かしている世界的な状況を鑑みると、その経済格差の是正の手段が個人の自由と民主主義を脅かすという本末転倒にならぬように、民主主義の秩序と手続きによる理性的な格差是正を行うためにも、国民一人ひとりがどれだけリベラル・アーツを持てるかが重要な時代に入っている。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
最終修正日:2017年3月17日

1.道徳と宗教 -なぜ・何を・どう学ぶのか-

このページの内容は以下の通り。
・道徳を学ぶ必要性
・道徳、宗教とは

人が何を学ぶべきかを考えると、どんなに高度な知識を極めようとも、逆にそのような勧めを行おうとすればするほど、道徳と宗教に対する理解を求めざるを得なくなる。道徳と宗教に対する理解なくして、それらを学ぶことは価値のないことであり、さらに様々な災難を呼ぶことになるだけだからである。

道徳を学ぶ必要性

どんなに勉強ができて、良い大学、良い職に就き、高い給料を得ても、何が正しいか分別がなければ普通と呼ばれる生活も築けない。幸せというところからは遠ざかってしまうだろう。学ぶというのは、勉強だけではない。どのような手段かは問題ではないが、道徳こそ自他のために学ぶ必要がある。

道徳の授業を受けたことのない人はいないと思うが、どれだけ印象に残っているだろうか。一般になじみが薄く、その内容を心に留めている人はかなり少ないと思う。では、宗教についてどのような印象を持っているだろうか。少なからぬ人が疎遠で、近寄りがたい印象を持っているのが日本の実情かもしれない。

学生時代も社会に出てからも、人生には多くの悩みが付きまとう。誰彼とケンカしたがどうすればよいか。いじめを受けているがどうすればよいか。一体、何が正しくてどうすれば良かったのか。

気を紛らわすために、美味しいものを食べたり、運動したり、色々と対処法はありそうだ。親や先生にアドバイスを求めるのもよいかもしれない。それでも悩みが深ければ、小説や歴史の中から教訓を探そうとするのかもしれない。けれど、きっとそこには本当に納得できるだけの答えはないだろう。つかの間、心に留まり、いつの間にか忘れてしまう教訓がほとんどではないか。

道徳、宗教とは

もしも、自分で何が正しいかを知りたくて、ドラマや歌詞、小説にそれを探し求めているようなところがあるのであれば、その人が求めている正しさは恐らくそこにはない。その人が求めている答えは道徳や宗教という分野にあるからだ。

宗教というのは正義や生き方を説いている。であれば学校の授業できちんと教えればよいという話になるが、私立は別にして公立ではそうなってはいない。それは、宗教には異なる宗教があり、異なる方法で異なる正義を説いているからで、どれを教えればよいのか、そこには皆が認める答えがないからだ。さらに、正義を説く悪人もいる。正義を説ける人も少ない。つまり、教えるのも学ぶのも最も難しいのが道徳と宗教なのだ。

このような理由で道徳の授業は、とくに公立においてあまり印象の残らない内容しか提供できない。正式な授業として道徳や宗教を満足に学べる学校も少ない。けれど、正しさの分別は人にとって最も大切なことであるから、もしもそれを学べる環境に自分がいなければ、自分自身でそれを少しずつでも学んでいくことを勧めたい。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年8月25日
修正日時:2017年3月17日 章立て、冒頭要約を追加。
最終修正日:2017年3月17日

なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか

【序文】
高校時代、なぜ勉強するのかが分からなくなったことがある。自分の興味のない学科が将来、自分とって何の役に立つのか疑問に思ったのだ。受験勉強が始まるとその疑問はますます深まった。

なぜ学ぶのか、各学問には苦労して学ぶだけの理由がある。それはつまり、人の役に立つという理由があるのだ。では、どう役に立つのか。それを知れば何を学び、どう学べばよいかも少しずつ明らかになってくる。自分の中にある答えを整理して紹介していく。

【要約】
第一章「道徳と宗教」では、学問だけではなく道徳や宗教を学ぶことの大切さや、それを学んだり教えたりすることの難しさを指摘する。
第二章「現代社会の文化と文明」では、社会がどのように形づくられているかを知ることの大切さや、それを学ぶための方法や方向性を示唆する。
第三章「学問と論理、とくに科学と法律」では、社会が様々な学問とくに科学と法律に支えられていることを示し、その基礎として、物事を正確に考えるための方法、つまり論理について説明する。さらに、科学の考え方を詳述した上で、法律の考え方を通してリベラル・アーツについて説明する。
第四章「国語と数学と英語」では、学問における国語と数学と英語の重要性を指摘し、その学習方法を詳しく説明する。
第五章「対象と関係、関係論理」では、最後に、物事を正確に考えるための方法として、知識を対象と関係に分けて考える手法を説明する。

【目次】
1.道徳と宗教
 1-1.道徳を学ぶ必要性
 1-2.道徳、宗教とは
2.現代社会の文化と文明
 2-1.社会、世界、歴史を知ること
 2-2.現代文明の基礎は西洋の学問にある
3.学問と論理、とくに科学と法律
 3-1.学問、とくに法律と科学を学ぶこと
 3-2.学問、論理とは何か
  3-2-1.命題について
  3-2-2.理由について
  3-2-3.前提について
  3-2-4.学問、論理の不完全性
 3-3.科学とは何か
  3-3-1.仮定を立てること
  3-3-2.実験について
 3-4.法律とは何か
  3-4-1.民主主義とリベラル・アーツ
  3-4-2.民主主義と学問の源流、ギリシャ
  3-4-3.民主主義に必要とされるリベラル・アーツとは
4.国語と数学と英語
 (別ページ)国語と数学を学ぶ必要性と勉強方法
  (別ページ1)現代における国語と数学の重要性
  (別ページ2)数学を学ぶ必要性
  (別ページ3)数学の勉強方法
  (別ページ4)国語を学ぶ必要性と勉強方法
 (別ページ)英語を学ぶ必要性と勉強方法
 4-1.英数国について補足
 4-2.反復の重要性
5.対象と関係、関係論理
 5-1.対象の必要性と独立した対象の不存在
 5-2.関係の必要性と相対性
 5-3.対象は関係によってのみ規定される
 5-4.関係論理
 5-5.命題論理は関係論理
 5-6.結語

公開日時:2016年8月24日
最終修正日:2017年3月22日