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4.国語と数学と英語 -なぜ・何を・どう学ぶのか-

このページの内容は以下の通り。
・国語について補足
・数学について補足
・英語について補足
・反復の重要性

国語と数学と英語の必要性と勉強方法については、以前に解説した記事があるので、まずそちらを読んでもらいたい。
国語と数学を学ぶ必要性と勉強方法
英語を学ぶ必要性と勉強方法
その上で、以下に補足を付ける。

国語について補足

国語は、人が物事を考えるための基礎であり、各学問を理解するための土台となる学科である。考えることと文章を書くということは表裏一体であり、説得力ある文章を書ける、一定の作文能力を身に付けておくことがどのような仕事を行う上でも重要になる。

数学について補足

数学は、科学の土台であり中心である。科学、つまり自然を理解し表現すること、そのための言語のような学科である。とくに18世紀から現在に至るまで、数学の発展は著しく、今後、あらゆる側面で科学の裾野を広げ、理論を深めていくことになる。文章の書き方を学ぶのと同じくらいに、物事を数学で考えて表現することが、仕事を成功させる上で重要になる時代がもうすでに来ている。

英語について補足

英語は、世界の共通言語である。英語を学ばなければ、世界の多くの知識に触れることができない。逆に、英語さえできるようになれば、その多くの知識を学ぶことができる。習得する価値の高い言語といえる。

反復の重要性

最後に、勉強の仕方で最も大切なことは反復することと指摘しておきたい。何事も基本ができていなければ応用はできず、応用を経験して初めて基本の理解が深まるという両側面がある。とくに本の読み方を例に挙げると、文章は複雑な内容を表わすにもかかわらず、一列に情報を綴るしかない。そして、初めて読む文章であればなおさら、前から後ろに直線的に読んでいくしかない。それはプログラミングや遺伝子の情報に似ている。初めて読んで分かることは、各重要部分の内容とぼんやりとした全体像くらいである。それを繰り返し読み込むことで、各部分同士の関係や全体と各部分の関係が分かり、各部分を細かく、そして全体を広く、理解できるようになるのである。このように本を読むにしても、知識を身に付けるにしても、基本を反復し、基本と応用を繰り返すことが非常に大切である。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年10月31日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。結語を修正。
公開日時:2017年3月17日

一般教養(リベラル・アーツ)をウィキペディアで学ぶ

キーワードフォルダのトップページを、ウェブ百科事典であるウィキペディアで一般教養(リベラル・アーツ)を学べるようにリニューアルしました。キーワードフォルダとは、弊社が開発しているウィキペディア専用の検索エンジンです。 >> キーワードフォルダ

キーワードフォルダで学べる一般教養とは、西洋の文脈での教養いわゆるリベラル・アーツを指し、現代日本社会の土台となっている基礎知識です。リベラル・アーツとは、自由の技術、つまり、学ぶことで自らと他者の可能性、自由を広げることのできる知識を意味し、西洋の伝統においては、大学の教養過程で学ぶ学科を指します。明治期、旧制高校や旧帝大の学生さんたちが一生懸命、読んでいた類の本と言えば分かりやすい方も多いかもしれません。どの知識も嘆息するほどに洗練され、理解し、身に付けるには多大の労力を必要とします。しかし、その入り口を知っていることは、この社会で生きて行くために必要なことばかりです。考える力を磨くことにもなります。どのような考え方にもとづいて知識が選ばれているかは、なぜ学び、何を学び、どう学ぶのかをお読みください。

スマホでもタブレットでも読みやすくしてあるので、時間の空いた時に思い出して、少しづつ読み進めることができます。高校生や大学生など、時間を掛けてきちんと学ぶことのできる方は、ウィキペディアが「誰でも書き込めるウェブ百科事典」であることに注意して、紹介されている参考文献(原典)を読むようにしてください。もし、高校生(中学生)の間にこれらの本に触れる機会があれば、学力は自ずと伸び、視野もひらけ、進路選択にも役立ち、将来の生活の基礎となる学びになります。難しくても諦めずに、理解しようと取り組むことが大切だと思います。挑戦してみてください。

5.対象と関係、関係論理 -なぜ・何を・どう学ぶのか-

このページの内容は次の通り。
・対象の必要性と独立した対象の不存在
・関係の必要性と相対性
・対象は関係によってのみ規定される
・関係論理
・命題論理は関係論理
・結語

第3章で物事を正確に考えるための方法論が、学問の基礎となっていることを紹介した。その方法の基本は、どんな知識も完全に正しいことはないと知ることであった。さらに、だからこそ、不明確な知識を一つ一つ問うことで明確にしていくことが、知識を正しいものに近づけていくことになる。そして、知識を問う方法には、知識を全体で捉えず部分に分けたり、比較して同じところと異なるところを分けたりするなど、様々な手法がある。ここでは最後に、私が考えた知識を問う手法、具体的には知識を対象と関係に分けて考える手法を説明したい。

対象の必要性と独立した対象の不存在

物事を考えるときには何を考えるのかをはっきりと決めなければいけない。それを考える「対象A」と呼ぼう。ここで、考える対象を明確にすることが、考えることの前提であることに注意したい。考える対象を定めないということは、何を考えているかも分からないことと同じだからだ。ただ、その対象Aがあるということだけでは、その対象Aのことは何も分からない。なぜなら、対象Aだけを考えるということは対象A以外に何も考えないということであり、それはつまり、対象Aしか存在しない世界を考えるということである。それでは対象Aであることの区別もその存在さえも確認することはできない。

例えば、あなたは今、地面に立っていて、友人と話すとおもしろくて、空を見ることが好きだとする。そうすると、地面も友人も空もない世界では、あなたのこれらの特徴は現れない。けれど、地面と友人と空があれば、あなたのこれらの特徴を確認することができる。さらに、友人は、地面に座っていて、あなたと話すとつまらなくて、空を見ることが嫌いだとすると、それがあなたと友人との区別にもなる。

地面も友人も空もない世界などないのだから考えても仕方がない、とあなたは思うかもしれないが、今ここで議論しているのは実際の世界ではなく、実際の世界から抜き出された考える対象のみの世界である。物事を考えるときに一度にすべてのことは考えられない。一度に考えられることはぼんやりとであれ、はっきりとであれ、実際の世界からするとほんのわずかなことだけである。

同様に、あなたを考えるときに、あなたの顔や手や友人との思い出、その他諸々のあなたの必須の特徴を抜きにあなたを考えることはできない。だから、あなたしかいない世界を考えることはできないと思うかもしれないが、それはその通りで、あなたしかいない世界は考えられない。しかし、あなたを考えるときには、あなたの顔や手や友人との思い出、その他諸々の必須の特徴を、その一つ一つを何を考えて、何を考えないのか、あなた以外の対象として明確化して考える必要があるのだ。

関係の必要性と相対性

このように、対象Aを考えるためには、少なくとも他の対象Bを見つけて、対象Aと対象Bがどう関わり合っているかを考える必要がある。それを対象Aと対象Bの「関係C」と呼ぼう。例えば、あなたが、立っていて、話すとおもしろく、見ることが好きなのは、地面、友人、空という対象で、これらはその対象とあなたとの関係である。さらに、あなたは、地面に話すとおもしろく、友人を見ることが好きで、空に立っている、のではない。つまり、立っていて、話すとおもしろく、見ることが好き、というあなたを特徴付ける関係は、対象によって異なり、相対的に決まることも分かる。

対象は関係によってのみ規定される

この関係による特徴付けを推し進めると、対象はその対象に紐づけられた関係によってのみ規定され、対象は名付けとそれらの関係を紐づける役割だけを持つようになる。どういうことか。対象Aを問う、つまり考えるということは、実際の対象Aの内容について、その他の対象B1、B2、B3・・・と対象Aとの関係C1、C2、C3・・・を見い出していくことである。この括り出しによって、実際の対象Aの内容は考える対象として明確化される。そして、考える対象としての対象Aは、明確化された対象B1、B2、B3・・・と関係C1、C2、C3・・・しかない。なぜなら、他に実際の対象Aの内容があったとしても、それは考える対象として明確化されていないのだから。そうすると、考える対象としては、対象Aは対象B1、B2、B3・・・と関係C1、C2、C3・・・によってのみ規定され、対象Aはそれらの関係を紐づける名付けの役割しか果たしていないことになる。つまり、対象が関係によってのみ規定される、関係中心の考え方ができる。

同様の括り出しが対象B1、B2、B3・・・にも行われるし、関係C1、C2、C3・・・も関係であると同時に考える対象であるから、同様の括り出しが行える。そうすると、物事を正確に考えるということは、新たな対象と関係を見出し、さらにそれを対象として、新たな対象と関係を見出していくことの繰り返しに他ならないことが分かる。対象と対象の関係が見い出され、紐解かれたときに、物事の正確な理解ができたと言える。

関係論理

これをより正確に、論理という形で表現することもできる。つまり、関係は正誤の判定の対象となりえるので、命題と考えることもでき、命題を関係に置き換えた論理、つまり、関係論理を考えることができる。上述のように、対象は名付けの役割のみを果たし、関係こそが物事の本質なので、物事を論理的に理解するとは、物事の関係を正誤を明確にしながら紐解くことと同じであることが分かる。

命題論理は関係論理

考えと表裏一体である言葉について考察すると理解はより深まる。言葉と物事には直接的な対応関係がある。さらに、物事の中に成り立つ関係があり、言葉の中に成り立つ関係があり、その両者にも対応関係がある。もしも、ある単語について、物事との対応関係と他の言葉との関係を切り離せば、その言葉は何も意味せず、ただの記号になる。つまり、言葉の意味は、これらの関係によって成立し、規定されている。命題は言葉によって作られており、言葉の意味は物事と他の言葉との関係によって作られている。それはすなわち、命題が言葉の持つ関係によって作られていることを意味する。ここで、言葉と物事には直接的な対応関係があるので、命題は物事の関係によって作られていることが分かる。

結語

以上のように、すべての対象は他の対象なくして存在せず、他の対象との関係によって規定される。よって、物事を考えるときには、物事を対象と関係に分けて考えればよい。そして、関係を考える対象としてもよく、複数の対象と関係を新たな考える対象としてもよく、逆に対象の中に新たな対象と関係を見い出してもよい。複雑な物事を考え、分析し、整理するときには、このように自分が考えている対象とその関係を明確にすることが大切である。そして、そのすべての対象を問うことが大切である。それらを言葉と図に書き起こしてみるとよい。

最後になるが、第3章より正しさを得るためには理由が必要であるということを学問の前提としてきた。その前提こそが、道徳や宗教が学問とは大きく異なる点であることを指摘しておく。つまり、学問は仮定を仮の正しさとするが、道徳や宗教は正しさを理由なく受け入れるところから始まる。愛に理由はなく、理由を問い続ける不完全な学問では、人は不完全な幸せしか手に入れられないだろう。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年9月5日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。
最終修正日:2017年3月17日

2.現代社会の文化と文明 -なぜ・何を・どう学ぶのか-

このページの内容は次の通り。
・社会、世界、歴史を知ること
・現代文明の基礎は西洋の学問にある

社会、世界、歴史を知ること

人はみな、人の中で生きている。人の集まりを社会という。現代社会で生きている人がよりよく生きるためには、その現代社会をよく理解する必要がある。現代社会がどのように成り立っているのかを知り、社会に育まれた文化と社会が発展させてきた文明を理解することで、人は心地良く生き、満足いく貢献をすることができる。

今、この世界を見ると国と国の垣根は下がり、瞬時に必要なことを知ることができ、世界と日本との違いもほとんどないように見える。日本にいてできないことはない、学べないことはない、そんな気にもなる。しかし、いかに通信網が発達し、交通網が発達しても、依然、日本は日本であり、日本人は日本人の文化と思考を持っている。それは他国民も同じである。自らが学ぼうとしなければ、日本文化も、他国の文化も学ぶことはできない。どちらも、知っているとたかを括ってはいけない。自国の文化を知らないことは問題であるが、他国の文化を知らずに自国の文化を理解することもできない。当たり前と思っている習慣にこそ自国の最大の特徴があることも多い。良い習俗を保ち、悪弊を廃する、人は最善を目指すことが常に求められている。

何かを学ぶためには、何事でもその過去、歴史を振り返り、源流をたどることがとても大切だ。今あることだけを見ていては分からないことがある。くわえて、人からの伝聞ではどうしても質が落ちる。自分の手を動かして原典にあたることが必要になる。

現代文明の基礎は西洋の学問にある

現代文明の基礎には学問がある。現代文明における学問の価値については、次章において詳しく説明する。しかし、残念ながら、現代文明の要となる学問の礎を築いたのは日本ではない。主に、明治時代に西洋から日本へ導入された。当然のことながら、現代の学問、例えば科学や法律の恩恵を否定するわけにはいかない、そうであるならば、これを知るには西洋の原典を学ぶことを心がけるしかない。日本の過去を学ぶことは自国民として当然である。と同時に、優れた文明はすべての民族に平等であり、どこから生まれたかよりも、どこが受け入れ、育んでいるかの方が大事である。日本が現代文明の特長をより深く継承し、発展させた文明国として歴史に残ることを皆が願っている。

高校までは、習った知識がどこで生まれ、どのような考えを持った人たちによって生み出されたかを学ぶ機会が非常に少ない。しかし、知識を深く理解し、それを発展させていくには、その背景を知る必要がある。西洋文明の大きな源流はギリシャ文明とキリスト教にある。異質な両者がどのように絡まり合い、反発し、支えられながら、西洋文明が育まれていったかは非常に複雑で興味深い歴史である。その歴史を知ることは現代社会を知ることそのものともいえる。

時に応じて、自分の興味を持った学問の歴史をたどってみるとよい、自ずと西洋文明の過去を知ることになる。次第に知識が分野を越えて横に繋がり、全体像も見えてくる。一つ、科学史をその導入として学ぶのもよいと思う。村上陽一郎先生の著作をお勧めする。西洋の大学では、大学教養課程をリベラル・アーツと呼び、現代社会において自他の自由を広げる技術、さらに学問の基礎として、現代社会の文化と文明の要となる知識を学んでいる。次章では、その要となる知識をより具体的に説明していきたい。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年8月31日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。
最終修正日: 2017年3月17日

3.学問と論理、とくに科学と法律 -なぜ・何を・どう学ぶのか-

・学問、とくに法律と科学を学ぶこと
・学問、論理とは何か
 命題について
 理由について
 前提について
 学問、論理の不完全性
・科学とは何か
 仮定を立てること
 実験について
・法律とは何か
 民主主義とリベラル・アーツ
 民主主義と学問の源流、ギリシャ
 民主主義に必要とされるリベラル・アーツとは

人から考えることを取り去ってしまえば、人はその他の動物と同じである。人は正しいことを知り、正しいことを行う。これが道徳や宗教である。人が集まり、社会を形づくるためには、互いに決められた約束や規則を守る必要がある。それが法律である。人は裸で生きているのではない。自然を知り、手を動かすことによって物を作る。それが科学技術である。物を法にもとづき受け渡しする。それが経済である。科学にもとづき病を治す。それが医学である。人がよりよく生きるために考える。それがすべての学問の基礎になっている。

学問、とくに法律と科学を学ぶこと

人がよりよく生きるために築いてきた現代社会は、あらゆる側面で様々な学問に支えられている。そこで生活するには、多少なりともそれぞれの学問を知る必要があるし、人のために働く、つまり仕事をするには、その仕事に係る学問をしっかりと学ぶ必要がある。そうしなければ、なかなか満足のいく仕事はできないことが多い。現代社会においては、多くの人が協力し、分業して仕事をしている。それに応じて多くの約束や規則が必要になる。法律は複雑になり、それを理解することは社会で活動していく上でとても重要となる。一方、現代社会は物質文明でもある。物を計算する経済も大事ではあるが、物がなければ経済は始まらず、物を作り出す科学を学ぶことがより重要となる。現代社会においては、あらゆる物事にこの二つ、法律と科学が関わっている。一度、親の庇護を出て、何かしらを行おうとすれば、法律と科学の知識があなたの自由を制限もし、逆に広げもする。だから、学問、とくに法律と科学を学ぶことは、あなたやあなたの周りの人の生活を、少なからず物質的に豊かなものにする。

そこで、ここでは学問、とくに科学と法律の基礎を書きたい。何事も基礎を知れば導入も早く、成長も大きい。それだけではなく、この社会で生きていて「論理的に話してください」「科学的に話してください」などと注文を付けられることは、必ず一度や二度はある。その相手が何を「論理的」「科学的」と言っているのか、ここに書いてあることを理解すれば、その相手の言いたいことは理解できるし、あるいは、相手が理解していないことを知ることになるかもしれない。どちらにせよ、それほど動じる必要はなくなる。

学問、とくに科学と法律は、現代社会の土台であるので、その内容には正確さが必要とされる。逆に言えば、科学と法律の、その正確さゆえにこれほど高度な現代社会を築けている。前章の最後に紹介した西洋の大学で学ぶリベラル・アーツの中心には、その正確さを担保するための考え方、言い換えると、物事を正確に考えるための方法論がある。つまり、ソクラテスの問答法から始まり、デカルトの懐疑主義・合理主義とロックの経験主義の流れが科学と法律の考え方の土台を形づくってきた。その具体的な内容は、これらの知識を紹介している一般教養(リベラル・アーツ)をウィキペディアで学ぶを参考にしてほしい。ここでは、私の言葉で学問とくに科学と法律を基礎付けている論理について、そしてさらに科学と法律のより詳しい考え方について、説明をしたい。

学問、論理とは何か

何も考えずぼんやりと花を見ていてもそれは学問とは言えない。花を見るにしても何かを考えながら花を見ていれば、それは学問になりえる。つまり、「考える」という行為なくして、学問は成立しない。それでは、何をどう考えれば学問なのか。

命題について

花を見つけて、「この花は綺麗だな」と考えたとする。この考えには何の論理もない。一方、この考えを横にいる友人に向かって伝えたときに、友人が「綺麗かどうか」と考えたとする。この友人の考えには論理が生まれている。この友人はこの花が綺麗か綺麗ではないか、どちらであるかを考え始めているからである。つまり、論理の論とは、ある考えが正しいか間違っているかを判定する考えのことである。この正誤の判定の対象となる考えを命題、主張などとも呼ぶ。

理由について

命題、主張はそれだけでは、正しいか誤りか分からないのであるから、どちらにせよ別の、正しいことの理由、誤っていることの理由を必要とする。この理由を根拠、証拠、事実などとも呼ぶ。理由Bにより命題Aは正しい。これが最も小さな論であり、どのように正しい論を作るかが論理である。よく使われる言い回しの論理的というのは、正しい論が作られているという意味である。

前提について

さらに、論理について考えていく。論A「理由Cにより命題Bは正しい」があったとすると、論Aの正しさはどのように証明されているだろうか。分析してみると、「理由Cは正しい」と「理由Cが正しければ命題Bは正しい」という考えが論Aに隠れていることが分かる。ここでその考えはどちらも正誤の判定の対象となるので、どちらも命題と言える。つまり、論Aは隠れた命題D、Eの正しさによって証明されていたことになる。この隠れていて正しいと仮定される命題を前提と呼ぶ。ここで分かったことは、論Aの正しさは他の命題の仮定された正しさで証明されていたことである。では、論Aの正しさを完全に証明するためには、命題D、Eの正しさを証明しなければならない。しかし、たとえ命題Dを他の理由Fで証明したとしても、さらに理由Fの正しさも証明しなければならない。このように、論Aを証明するには無限の命題の正しさを証明しなければならず、論Aを完全に証明することはできないことが分かる。つまり、どこかで正しさを仮定した命題、つまり前提が必要となるのである。

学問、論理の不完全性

この議論から、自分が何か正しい主張をしたと思っているときには、その正しさは決して完全ではなく、何らかの前提に基づいていて、いつでもその主張が覆される可能性があることを知る必要がある。これは古くからギリシャの哲学者ソクラテスが「無知の知(無知であることを知ること)」と指摘してきたことであり、物事を考えるときには謙虚であらねばいけないという戒めでもある。新しい命題はいつどのように見つかるのか分からない、論を立てるときには考えの柔軟性が最も大切であることを知るべきである。

以上のような論理のある考えが学問とくに科学や法律の基礎と言える。学問が基礎とする論理に不完全さがあるのだから、学問も不完全であることをきちんと認識する必要がある。さらに、その不完全さへの認識こそが学問を発展させる原動力でもある。

学問という言葉は、素晴らしい言葉だと思う。学び問うことこそ学問の本質だからだ。先人の築いた知識を学び、そして問うことでより深く理解し、さらにその知識を発展させる。何よりも研究対象に対して問い掛ける姿勢こそ、新たな発見を生じ、学問を発展させていく。この学び問うことを続けていけば、あなたの生み出すことのできる最大の成果が、必ず得られることと思う。

科学とは何か

学問の中でも科学は、さらに二つの、正確さを保証するための考え方を持っている。一つは考える対象の量を計ることである。量を計ることでより正確に、さらに時間と場所を越えて、様々な対象を比較することができるようになった。これを定量化と呼ぶ。次章では、数学の科学における価値をより詳しく見ていきたい。もう一つの考え方についてはそれを説明する前に、もう一度、論理について話を戻したい。

仮定を立てること

より普遍的な理論は、より論理の正確さを求める。そこで、できる限り前提を排除するために、いくつかの仮定を立て、その仮定のみを根拠にして多くの命題を導き出していく。数学の場合、その仮定を公理、定義などと呼び、物理の場合、原理、原則、法則などと呼ぶ。その仮定と導き出された命題の全体を理論、理論体系、公理体系などと呼ぶ。先程の議論の通り、仮定は正しさを仮に認めただけの命題なので、仮定を根拠にした理論の中のすべての命題も仮に正しいだけである。ただ、自然の真理をより深く汲み取った仮定とその理論が、私たちにより深遠な自然の姿を表してくれる。だから、自然に対して問うこと、そして仮定を問うことが、数学と科学において最も大切な姿勢になる。

実験について

科学の場合、理論に含まれる命題について、時間と場所を越えて、実験でその正しさを確かめていく。これが科学の持つ正しさを保証するためのもう一つの考え方で、再現性と呼ぶ。ただ、仮定により導き出された命題の正しさを確かめることが、その仮定が正しいことを補強する唯一の根拠であり、その仮定を立てる唯一の目的でもあるのだから、科学において再現性を求めることは当然のことである。仮定や前提を常に問い続けるということは、実験を常に謙虚な姿勢で行うということでもあり、肝に銘じておきたい。

法律とは何か

最後に法律について説明すると、法律は論理に加えて、第一章で説明した道徳や宗教がその基礎になる。人や国にとっての幸福とは何か、正義とは何か、意思や自由とは何か、これらに対する答えが政治制度、経済制度、刑事制度などを決定する原理になり、それに基づいて社会を律するためのルールが法律である。

民主主義とリベラル・アーツ

では、どのような原理があるのか、詳細は先に紹介した一般教養(リベラル・アーツ)をウィキペディアで学ぶで学んでほしい。ここでは、現代の法律、つまり現代社会で最も重要な基本原理である自由、民主主義について解説する。さらに、民主主義を支える国民に必要な一般教養がリベラル・アーツであること、それが何を意味するなのか。なぜ、西洋では一般教養(大学教養課程)をリベラル・アーツというのか。民主主義とそれを支えるリベラル・アーツを学ぶ上で重要な点を指摘する。

民主主義と学問の源流、ギリシャ

リベラル・アーツを直訳すると自由の技芸という意味である。その源流はギリシャ人にある。ギリシャやローマにおいて自由民が身に付けておくべき学問や技芸を指す言葉であった。現代的に言い換えると、自由であるための技術、自由を行使するための技術である。だから、そもそも自由とは何か、自由にどのような価値があるのか、様々な幸福と自由がどう関係するのか、自由がどのように犯されるのかを知ることが、リベラル・アーツの出発点となる。そして、自由民であるギリシャ人が採った政治体制が、民主主義の一形態である共和制である。共和制とは、王がほとんどの権限を独占する専制君主制とは違い、自由民が総意で主権を行使する政治体制である。

そして、専制君主制ではなく共和制を採用し、自由民であることを誇りにしたギリシャ人から、政治だけではなく知識においても人の権威を否定したソクラテスのような人物が現われた。上述した論理学を発展させたのもギリシャ人だった。これらは偶然ではない。一人の人間が説明なく何かを決めるのでなく、正確かつ客観的な議論で互いに納得のいく結論を導き出す、そのような民主的な自由民の習慣が論理、ひいては学問を発展させたのである。法律を尊ぶのも、一人の人間の決定よりも、皆で決めたことを尊ぶからである。信仰・思想信条の自由を尊ぶのも、一人の人間の決めた幸福よりも、皆が互いの幸福を尊重するからこそである。これらは、個人の自由と民主主義なくして、信仰・思想信条の自由もない、法治主義もない、学問の自由もない、経済の自由もない、経済発展もないという、現代の民主主義、資本主義の基本原理である。

民主主義に必要とされるリベラル・アーツとは

民主主義とは、文字通り民が主となる政治制度であり、その前提に民の自由がある。その自らの自由を守り、行使するための、自由民の一般教養がリベラル・アーツである。つまり、自由民を自負する人々だからこそ、西洋においてリベラル・アーツは現代でも一般教養なのである。各時代、各教育者によってリベラル・アーツの具体的な内容は異なるが、現代におけるリベラル・アーツを考えたときに、この一連の記事の第4章までの学科は少なくとも必須である。つまり、道徳と宗教に対する理解、論理と科学に対する理解、法律とくに自由と民主主義に対する理解、文章と語学と議論の能力である。民主主義を支えるためには、他者の主張の正誤を判断できなければならず、さらに自分も正確に考えて、それを正確に伝えなければならない。これらの学科は、それを国際化する社会で実践するのに必要である。

民主主義、資本主義は現代の日本の社会制度である。自由の価値、強さ、危うさを知り、自由を守り、発展させるのは日本国民である。だからこそ、リベラル・アーツは日本において広く一般教養として学ばれる必要がある。さらに、バブル崩壊後の停滞の教訓として技術を覚えるだけではなく生み出す必要があると考えれば、これからの日本にとってはより大切な考え方になったといえる。くわえて、経済格差が個人の自由と民主主義を脅かしている世界的な状況を鑑みると、その経済格差の是正の手段が個人の自由と民主主義を脅かすという本末転倒にならぬように、民主主義の秩序と手続きによる理性的な格差是正を行うためにも、国民一人ひとりがどれだけリベラル・アーツを持てるかが重要な時代に入っている。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
最終修正日:2017年3月17日

1.道徳と宗教 -なぜ・何を・どう学ぶのか-

このページの内容は以下の通り。
・道徳を学ぶ必要性
・道徳、宗教とは

人が何を学ぶべきかを考えると、どんなに高度な知識を極めようとも、逆にそのような勧めを行おうとすればするほど、道徳と宗教に対する理解を求めざるを得なくなる。道徳と宗教に対する理解なくして、それらを学ぶことは価値のないことであり、さらに様々な災難を呼ぶことになるだけだからである。

道徳を学ぶ必要性

どんなに勉強ができて、良い大学、良い職に就き、高い給料を得ても、何が正しいか分別がなければ普通と呼ばれる生活も築けない。幸せというところからは遠ざかってしまうだろう。学ぶというのは、勉強だけではない。どのような手段かは問題ではないが、道徳こそ自他のために学ぶ必要がある。

道徳の授業を受けたことのない人はいないと思うが、どれだけ印象に残っているだろうか。一般になじみが薄く、その内容を心に留めている人はかなり少ないと思う。では、宗教についてどのような印象を持っているだろうか。少なからぬ人が疎遠で、近寄りがたい印象を持っているのが日本の実情かもしれない。

学生時代も社会に出てからも、人生には多くの悩みが付きまとう。誰彼とケンカしたがどうすればよいか。いじめを受けているがどうすればよいか。一体、何が正しくてどうすれば良かったのか。

気を紛らわすために、美味しいものを食べたり、運動したり、色々と対処法はありそうだ。親や先生にアドバイスを求めるのもよいかもしれない。それでも悩みが深ければ、小説や歴史の中から教訓を探そうとするのかもしれない。けれど、きっとそこには本当に納得できるだけの答えはないだろう。つかの間、心に留まり、いつの間にか忘れてしまう教訓がほとんどではないか。

道徳、宗教とは

もしも、自分で何が正しいかを知りたくて、ドラマや歌詞、小説にそれを探し求めているようなところがあるのであれば、その人が求めている正しさは恐らくそこにはない。その人が求めている答えは道徳や宗教という分野にあるからだ。

宗教というのは正義や生き方を説いている。であれば学校の授業できちんと教えればよいという話になるが、私立は別にして公立ではそうなってはいない。それは、宗教には異なる宗教があり、異なる方法で異なる正義を説いているからで、どれを教えればよいのか、そこには皆が認める答えがないからだ。さらに、正義を説く悪人もいる。正義を説ける人も少ない。つまり、教えるのも学ぶのも最も難しいのが道徳と宗教なのだ。

このような理由で道徳の授業は、とくに公立においてあまり印象の残らない内容しか提供できない。正式な授業として道徳や宗教を満足に学べる学校も少ない。けれど、正しさの分別は人にとって最も大切なことであるから、もしもそれを学べる環境に自分がいなければ、自分自身でそれを少しずつでも学んでいくことを勧めたい。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年8月25日
修正日時:2017年3月17日 章立て、冒頭要約を追加。
最終修正日:2017年3月17日

なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか

【序文】
高校時代、なぜ勉強するのかが分からなくなったことがある。自分の興味のない学科が将来、自分とって何の役に立つのか疑問に思ったのだ。受験勉強が始まるとその疑問はますます深まった。

なぜ学ぶのか、各学問には苦労して学ぶだけの理由がある。それはつまり、人の役に立つという理由があるのだ。では、どう役に立つのか。それを知れば何を学び、どう学べばよいかも少しずつ明らかになってくる。自分の中にある答えを整理して紹介していく。

【要約】
第一章「道徳と宗教」では、学問だけではなく道徳や宗教を学ぶことの大切さや、それを学んだり教えたりすることの難しさを指摘する。
第二章「現代社会の文化と文明」では、社会がどのように形づくられているかを知ることの大切さや、それを学ぶための方法や方向性を示唆する。
第三章「学問と論理、とくに科学と法律」では、社会が様々な学問とくに科学と法律に支えられていることを示し、その基礎として、物事を正確に考えるための方法、つまり論理について説明する。さらに、科学の考え方を詳述した上で、法律の考え方を通してリベラル・アーツについて説明する。
第四章「国語と数学と英語」では、学問における国語と数学と英語の重要性を指摘し、その学習方法を詳しく説明する。
第五章「対象と関係、関係論理」では、最後に、物事を正確に考えるための方法として、知識を対象と関係に分けて考える手法を説明する。

【目次】
1.道徳と宗教
 1-1.道徳を学ぶ必要性
 1-2.道徳、宗教とは
2.現代社会の文化と文明
 2-1.社会、世界、歴史を知ること
 2-2.現代文明の基礎は西洋の学問にある
3.学問と論理、とくに科学と法律
 3-1.学問、とくに法律と科学を学ぶこと
 3-2.学問、論理とは何か
  3-2-1.命題について
  3-2-2.理由について
  3-2-3.前提について
  3-2-4.学問、論理の不完全性
 3-3.科学とは何か
  3-3-1.仮定を立てること
  3-3-2.実験について
 3-4.法律とは何か
  3-4-1.民主主義とリベラル・アーツ
  3-4-2.民主主義と学問の源流、ギリシャ
  3-4-3.民主主義に必要とされるリベラル・アーツとは
4.国語と数学と英語
 (別ページ)国語と数学を学ぶ必要性と勉強方法
  (別ページ1)現代における国語と数学の重要性
  (別ページ2)数学を学ぶ必要性
  (別ページ3)数学の勉強方法
  (別ページ4)国語を学ぶ必要性と勉強方法
 (別ページ)英語を学ぶ必要性と勉強方法
 4-1.英数国について補足
 4-2.反復の重要性
5.対象と関係、関係論理
 5-1.対象の必要性と独立した対象の不存在
 5-2.関係の必要性と相対性
 5-3.対象は関係によってのみ規定される
 5-4.関係論理
 5-5.命題論理は関係論理
 5-6.結語

公開日時:2016年8月24日
最終修正日:2017年3月22日

ウィキペディアの検索方法

ウィキペディアの記事の検索方法を簡略に説明する。(2017年1月31日現在)
このページの内容:
1.タイトル検索
2.全文検索
3.検索ページの使い方
4.外部検索エンジンの利用
 ウィキペディア検索【キーワードフォルダ】
 Googleのサイト指定検索
 その他の外部検索エンジンと参考情報
 各検索エンジンの検索結果の比較一例

1.タイトル検索

タイトル検索がウィキペディアの最も基本的な検索方法。
方法:画面右上の検索欄にキーワードを入れてEnterする。
タイトル検索フォーム
結果ア:キーワードや類似キーワードをタイトルとする記事があれば、その記事が直接開く。
直接開かない方法 ➡ 「2.全文検索」を参照のこと。
結果イ:キーワードをタイトルとする記事がない場合や、複数キーワードを入力した場合は、検索結果の一覧が表示される。

2.全文検索

キーワードと一致する記事があっても、検索結果の一覧を表示する。
方法:検索欄を空欄にして、Enter又は検索ボタンをクリックすると、検索ページが開く。
全文検索画面
結果:検索ページで検索すると、キーワードと一致する記事があっても、検索結果の一覧が表示される。

3.検索ページの使い方

検索対象を「本文ページ」「マルチメディア」「すべて」「詳細」に指定できる。
「本文ページ」は記事本文。
「マルチメディア」は画像など。
「すべて」はメタページを含むすべて。
「詳細」は、検索対象を各項目で指定できる。

以上がウィキペディアの検索方法の概略。
詳細は、Help:検索ページで説明されている。

ウィキペディアのサイト内検索の長所と短所
長所:一定水準の検索精度、リアルタイム、検索対象を指定できる。シンプルなタイトル検索、Suggest機能。
短所:Googleに劣る検索精度、タイトル検索と全文検索が統合されていて全文検索の仕方が分かりにくい。

4.外部検索エンジンの利用

2017年1月31日現在、検索ページにあった外部検索エンジンの選択メニューは削除されたらしい。
ここでは、主な外部検索エンジンを紹介し、その使用方法を説明する。
ページ下部の各検索エンジンの検索結果の比較一例も参照されたい。

ウィキペディア検索【キーワードフォルダ】

弊社の開発したウィキペディア専用の検索エンジン。
長所:カテゴリを用いて網羅的な検索ができる。ビッグキーワードの検索に強み、分野別の知識を収集するのに役立つ。
短所:インデックスの更新が遅い。検索対象が記事の要約。
リンク:ウィキペディア検索【キーワードフォルダ】
上記リンクをブックマークしておけば、空いた時間の読み物に重宝する。
使用方法:フォームとカテゴリが連携していて、カテゴリを操作しながら検索する。
ア.フォームへのキーワード・空白入力、左右カーソル移動でカテゴリ欄が更新され、各カテゴリをクリックすると検索結果が表示される。
イ.各カテゴリ右下の丸ボタンでページ移動なしに新カテゴリを表示できる。
ウ.カテゴリ欄右上のボタンでカテゴリ欄の開閉ができる。
キーワードフォルダ画面
詳細は、キーワードフォルダについてを参照のこと。

Googleのサイト指定検索

Googleでウィキペディアにサイトを指定して検索する。
長所:精度の高い全文検索、曖昧検索、Suggest機能、関連キーワードなどが利用できる。
短所:下記の「方法ア」は正確性に欠け、「方法イ」はサイト指定するのが煩雑。
リンク:Googleサイト指定 左記リンクをブックマークしておくと便利。
方法ア:他のウェブサイトが混じったり検索順位が乱れたりするが、検索キーワードに「wikipedia」を加えて検索する。
方法イ:検索オプションでウィキペディアにサイトを指定して検索する。
Googleのトップ画面右下の設定ボタンをクリックし、ポップアップメニューから設定オプションを選択する。
Google画面1
次に、「サイトまたはドメイン」項目で、日本語版ウィキペディアのドメイン「https://ja.wikipedia.org/」を指定して検索する。
Google画面2

その他の外部検索エンジンと参考情報

フレッシュアイペディア
長所:トップページのカテゴリが使いやすい(ただし、内容はWikipediaと同じ)。
短所:検索精度が劣ると思われる。
goo Wikipedia記事検索
長所:トップページの記事紹介やカテゴリが見やすい(ただし、内容はWikipediaと同じ)。
短所:検索精度が劣ると思われる。
Wikiwix
長所:様々なWikiを検索できる。
短所:検索精度が劣ると思われる。
Yahoo!カテゴリ トップ > 各種資料と情報源 > 辞書、辞典 > 百科事典 > ウィキペディア(Wikipedia)

各検索エンジンの検索結果の比較一例

このページで紹介している各検索エンジンの検索精度やページ評価の傾向を比較するための1例として、ウィキペディアで使用頻度の高い「日本」で検索した各検索エンジンの上位10ページを列挙しておく。(2017年1月31日現在)

ウィキペディア:
日本、日本の漫画作品一覧、日本のインターチェンジ一覧、日本の鉄道駅一覧、日本のロック、日本の鉄道路線一覧、日本雑誌協会、日本橋 (東京都中央区)、西日本、日本タレント名鑑
キーワードフォルダ:
日本 (曖昧さ回避)、日本、日本刀、日本大学、日本の文化、日本の歴史、日本標準時、日本映画、日本の漫画作品一覧、日本の漫画雑誌
Google:
日本、日本の首都、Category:日本、日本 (新聞)、日本の地域、2017年の日本、日本国政府、日本の観光、大日本帝国、日本の宗教
フレッシュアイペディア:
日本、損保ジャパン日本興亜ホールディングス、日本太平洋問題調査会、SMBC日本シリーズ2016、日本基督教文化協会、Category:日本キリスト教婦人矯風会、日本ナショナルトラスト、Category:日本のハンドボールに関する人物、Category:日本の磨崖仏、Category:スポーツの日本代表チームの愛称
goo Wikipedia記事検索:
日本の映画監督一覧、日本のいちばん長い日、日本の暦、日本のことわざ、日本代表、日本語字幕、日本の空港、日本の内閣総理大臣、日本国 (曖昧さ回避)、日本の道路
Wikiwix:
日本航空、日本電気、第26回全日本吹奏楽コンクール課題曲、ZONE FINAL in 日本武道館 2005/04/01 〜心を込めてありがとう〜、日本航空高等学校石川、日本神話、solaris (日本のバンド)、南日本、2005年の日本の女性史、日本型社会民主主義

このページは、キーワードフォルダの開発にあたり、ウィキペディアの検索方法を調査したところ、Help:検索ページの説明が詳細すぎて検索方法の概略が分かりにくかったために作成した。随時更新している。

 

キーワードフォルダ、2016年6月14日更新

キーワードフォルダを2016年6月14日に更新しました。

今回の更新の一番大きなポイントは、キーワードフォルダの特徴であるカテゴリ機能が階層化されたことです。
元々、ページをたどった場合には、カテゴリが階層化されていたのですが、
カテゴリのみをたどった場合には、これまではキーワード検索の繰り返しを行う仕様になっていました。
今回からは、それがページをたどる場合と同じく、階層化されたカテゴリをたどれるようになりました。

これで、キーワードフォルダの開発当初に思い描いていた基本的な機能を備えることができた、とやっと言える気がします。
内部のインデックス技術とデザインを含めたインターフェースのバランスも、段々と取れてきたように思います。

カテゴリの抽出からそれを生かすインターフェースの開発まで、工夫・創作の連続でした。

まだまだ、開発しなければいけないことは山積みですが、ここまでできたことに感謝しつつ、これからも頑張っていきたいと思います。

キーワードフォルダとGoogleの比較

キーワードフォルダとGoogleを比較することは、平屋と高層ビルを比較するようなことですが、検索エンジンとして広く認知されているのはGoogleくらいですので、キーワードフォルダの特徴を説明するため仕方なくGoogleと比較をしたいと思います。

キーワードフォルダには未だ諸々の改良すべき点があり、細かな情報はWikipedia自体の限界もあります。
詳細設定をしないGoogle検索とキーワードフォルダを比較すると、広い知識分野を表すキーワードの中には、キーワードフォルダの方が知的欲求を満たしてくれるだろう場合があります。
例えば、
仏教(キーワードフォルダ)」、「仏教(Google)
数学(キーワードフォルダ)」、「数学(Google)
などを比較してみてください。
詳細設定をして、Wikipediaに検索対象を限定したGoogle検索とキーワードフォルダを比較すると、いくつかの観点(1キーワードの検索結果数、ページ表示速度、全文検索能力、PortalやCategoryページが含まれているなど)からGoogleの方が優れた点がありますが、関連検索についてはキーワードフォルダの方が検索の質と幅を広げられています。
仏教(Google+Wikipedia限定)
詳細設定のアクセスコストや関連検索の性能を考えると、Wikipediaのみを検索したい場合や特定の知識分野について全体像を学びたい場合にはキーワードフォルダを利用するメリットがあると思います。
ちなみに、Wikipediaが提供する検索エンジンは性能が良くありません。