道徳と宗教1(道徳を学ぶ必要性) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

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1-1.道徳を学ぶ必要性

人が何を学ぶべきかを考えると、どんなに高度な知識を極めようとも、逆にそのような勧めを行おうとすればするほど、道徳と宗教に対する理解を求めざるを得なくなります。道徳宗教に対する理解なくして、それらを学ぶことは時に様々な災難を呼ぶことになってしまうからです。これまで、良識なくして用いられた科学、道徳なく用いられた法律が多くの惨事を人類に与えてきた事例は、枚挙にいとまがありません。

人は知識がなくとも幸せになれますが、道徳を知らなければ幸せになることはできないでしょう。この文章では、現代社会を支える多くの知識や技術について説明をしますが、賢くなっても幸せにはなれず、正しくなければ幸せにはなれないということを念頭に置いて学んで頂きたいと思って、読者を不幸せにはしたくないので、十分にその認識を持った人もおられることを承知で、注意喚起のために冒頭にこの章を設けました。

それでは、知識は学ばない方が良いではないか、と思われる方は、そう信じて進める方は、この文章全体はまったく必要がなく、より素晴らしい生き方のできる方だと私は思います。もちろん、そのような方は、知識を誠実に扱う作法をすでに十分に心得た上で、捨て置いておられると思いますが、一方で、そのように思えない方は、知識は道具であると考えれば良いのではないかと思います。道具はその使い方をきちんと学び、良いことに使う必要があります。使い方を学ぶことも大切ですが、何に使うべきかを学ぶことも大切なことだと、この章では説明したいのです。

例えば、どんなに勉強ができて、良い大学、良い職に就き、高い給料を得ても、何が正しいか分別が付かないために、あるいは同情すべき一瞬の気の緩みのために、何らかの罪を犯して普通と呼ばれる生活
さえ失ってしまう人のニュースを溢れるように見聞きします。道徳から外れたときに、人は幸せからも遠ざかってしまうように見えます。何かを学ぶというのは、やはり、勉強だけではないのだと思います。どのような機会かは問題ではなく、家や学校で学べないのであれば、それ以外に探し求めてでも、道徳こそ自他のために学ぶ必要のあるものといえます。

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公開日時:2016年8月25日
修正日時:2017年3月17日 章立て、冒頭要約を追加。
修正日時:2018年1月6日 ページ数、内容を大幅に追加。
最終修正日:2018年1月6日