3.学問と論理、とくに科学と法律 -なぜ・何を・どう学ぶのか-


・学問、とくに法律と科学を学ぶこと
・学問、論理とは何か
 命題について
 理由について
 前提について
 学問、論理の不完全性
・科学とは何か
 仮定を立てること
 実験について
・法律とは何か
 民主主義とリベラル・アーツ
 民主主義と学問の源流、ギリシャ
 民主主義に必要とされるリベラル・アーツとは

人から考えることを取り去ってしまえば、人はその他の動物と同じである。人は正しいことを知り、正しいことを行う。これが道徳や宗教である。人が集まり、社会を形づくるためには、互いに決められた約束や規則を守る必要がある。それが法律である。人は裸で生きているのではない。自然を知り、手を動かすことによって物を作る。それが科学技術である。物を法にもとづき受け渡しする。それが経済である。科学にもとづき病を治す。それが医学である。人がよりよく生きるために考える。それがすべての学問の基礎になっている。

学問、とくに法律と科学を学ぶこと

人がよりよく生きるために築いてきた現代社会は、あらゆる側面で様々な学問に支えられている。そこで生活するには、多少なりともそれぞれの学問を知る必要があるし、人のために働く、つまり仕事をするには、その仕事に係る学問をしっかりと学ぶ必要がある。そうしなければ、なかなか満足のいく仕事はできないことが多い。現代社会においては、多くの人が協力し、分業して仕事をしている。それに応じて多くの約束や規則が必要になる。法律は複雑になり、それを理解することは社会で活動していく上でとても重要となる。一方、現代社会は物質文明でもある。物を計算する経済も大事ではあるが、物がなければ経済は始まらず、物を作り出す科学を学ぶことがより重要となる。現代社会においては、あらゆる物事にこの二つ、法律と科学が関わっている。一度、親の庇護を出て、何かしらを行おうとすれば、法律と科学の知識があなたの自由を制限もし、逆に広げもする。だから、学問、とくに法律と科学を学ぶことは、あなたやあなたの周りの人の生活を、少なからず物質的に豊かなものにする。

そこで、ここでは学問、とくに科学と法律の基礎を書きたい。何事も基礎を知れば導入も早く、成長も大きい。それだけではなく、この社会で生きていて「論理的に話してください」「科学的に話してください」などと注文を付けられることは、必ず一度や二度はある。その相手が何を「論理的」「科学的」と言っているのか、ここに書いてあることを理解すれば、その相手の言いたいことは理解できるし、あるいは、相手が理解していないことを知ることになるかもしれない。どちらにせよ、それほど動じる必要はなくなる。

学問、とくに科学と法律は、現代社会の土台であるので、その内容には正確さが必要とされる。逆に言えば、科学と法律の、その正確さゆえにこれほど高度な現代社会を築けている。前章の最後に紹介した西洋の大学で学ぶリベラル・アーツの中心には、その正確さを担保するための考え方、言い換えると、物事を正確に考えるための方法論がある。つまり、ソクラテスの問答法から始まり、デカルトの懐疑主義・合理主義とロックの経験主義の流れが科学と法律の考え方の土台を形づくってきた。その具体的な内容は、これらの知識を紹介している一般教養(リベラル・アーツ)をウィキペディアで学ぶを参考にしてほしい。ここでは、私の言葉で学問とくに科学と法律を基礎付けている論理について、そしてさらに科学と法律のより詳しい考え方について、説明をしたい。

学問、論理とは何か

何も考えずぼんやりと花を見ていてもそれは学問とは言えない。花を見るにしても何かを考えながら花を見ていれば、それは学問になりえる。つまり、「考える」という行為なくして、学問は成立しない。それでは、何をどう考えれば学問なのか。

命題について

花を見つけて、「この花は綺麗だな」と考えたとする。この考えには何の論理もない。一方、この考えを横にいる友人に向かって伝えたときに、友人が「綺麗かどうか」と考えたとする。この友人の考えには論理が生まれている。この友人はこの花が綺麗か綺麗ではないか、どちらであるかを考え始めているからである。つまり、論理の論とは、ある考えが正しいか間違っているかを判定する考えのことである。この正誤の判定の対象となる考えを命題、主張などとも呼ぶ。

理由について

命題、主張はそれだけでは、正しいか誤りか分からないのであるから、どちらにせよ別の、正しいことの理由、誤っていることの理由を必要とする。この理由を根拠、証拠、事実などとも呼ぶ。理由Bにより命題Aは正しい。これが最も小さな論であり、どのように正しい論を作るかが論理である。よく使われる言い回しの論理的というのは、正しい論が作られているという意味である。

前提について

さらに、論理について考えていく。論A「理由Cにより命題Bは正しい」があったとすると、論Aの正しさはどのように証明されているだろうか。分析してみると、「理由Cは正しい」と「理由Cが正しければ命題Bは正しい」という考えが論Aに隠れていることが分かる。ここでその考えはどちらも正誤の判定の対象となるので、どちらも命題と言える。つまり、論Aは隠れた命題D、Eの正しさによって証明されていたことになる。この隠れていて正しいと仮定される命題を前提と呼ぶ。ここで分かったことは、論Aの正しさは他の命題の仮定された正しさで証明されていたことである。では、論Aの正しさを完全に証明するためには、命題D、Eの正しさを証明しなければならない。しかし、たとえ命題Dを他の理由Fで証明したとしても、さらに理由Fの正しさも証明しなければならない。このように、論Aを証明するには無限の命題の正しさを証明しなければならず、論Aを完全に証明することはできないことが分かる。つまり、どこかで正しさを仮定した命題、つまり前提が必要となるのである。

学問、論理の不完全性

この議論から、自分が何か正しい主張をしたと思っているときには、その正しさは決して完全ではなく、何らかの前提に基づいていて、いつでもその主張が覆される可能性があることを知る必要がある。これは古くからギリシャの哲学者ソクラテスが「無知の知(無知であることを知ること)」と指摘してきたことであり、物事を考えるときには謙虚であらねばいけないという戒めでもある。新しい命題はいつどのように見つかるのか分からない、論を立てるときには考えの柔軟性が最も大切であることを知るべきである。

以上のような論理のある考えが学問とくに科学や法律の基礎と言える。学問が基礎とする論理に不完全さがあるのだから、学問も不完全であることをきちんと認識する必要がある。さらに、その不完全さへの認識こそが学問を発展させる原動力でもある。

学問という言葉は、素晴らしい言葉だと思う。学び問うことこそ学問の本質だからだ。先人の築いた知識を学び、そして問うことでより深く理解し、さらにその知識を発展させる。何よりも研究対象に対して問い掛ける姿勢こそ、新たな発見を生じ、学問を発展させていく。この学び問うことを続けていけば、あなたの生み出すことのできる最大の成果が、必ず得られることと思う。

科学とは何か

学問の中でも科学は、さらに二つの、正確さを保証するための考え方を持っている。一つは考える対象の量を計ることである。量を計ることでより正確に、さらに時間と場所を越えて、様々な対象を比較することができるようになった。これを定量化と呼ぶ。次章では、数学の科学における価値をより詳しく見ていきたい。もう一つの考え方についてはそれを説明する前に、もう一度、論理について話を戻したい。

仮定を立てること

より普遍的な理論は、より論理の正確さを求める。そこで、できる限り前提を排除するために、いくつかの仮定を立て、その仮定のみを根拠にして多くの命題を導き出していく。数学の場合、その仮定を公理、定義などと呼び、物理の場合、原理、原則、法則などと呼ぶ。その仮定と導き出された命題の全体を理論、理論体系、公理体系などと呼ぶ。先程の議論の通り、仮定は正しさを仮に認めただけの命題なので、仮定を根拠にした理論の中のすべての命題も仮に正しいだけである。ただ、自然の真理をより深く汲み取った仮定とその理論が、私たちにより深遠な自然の姿を表してくれる。だから、自然に対して問うこと、そして仮定を問うことが、数学と科学において最も大切な姿勢になる。

実験について

科学の場合、理論に含まれる命題について、時間と場所を越えて、実験でその正しさを確かめていく。これが科学の持つ正しさを保証するためのもう一つの考え方で、再現性と呼ぶ。ただ、仮定により導き出された命題の正しさを確かめることが、その仮定が正しいことを補強する唯一の根拠であり、その仮定を立てる唯一の目的でもあるのだから、科学において再現性を求めることは当然のことである。仮定や前提を常に問い続けるということは、実験を常に謙虚な姿勢で行うということでもあり、肝に銘じておきたい。

法律とは何か

最後に法律について説明すると、法律は論理に加えて、第一章で説明した道徳や宗教がその基礎になる。人や国にとっての幸福とは何か、正義とは何か、意思や自由とは何か、これらに対する答えが政治制度、経済制度、刑事制度などを決定する原理になり、それに基づいて社会を律するためのルールが法律である。

民主主義とリベラル・アーツ

では、どのような原理があるのか、詳細は先に紹介した一般教養(リベラル・アーツ)をウィキペディアで学ぶで学んでほしい。ここでは、現代の法律、つまり現代社会で最も重要な基本原理である自由、民主主義について解説する。さらに、民主主義を支える国民に必要な一般教養がリベラル・アーツであること、それが何を意味するなのか。なぜ、西洋では一般教養(大学教養課程)をリベラル・アーツというのか。民主主義とそれを支えるリベラル・アーツを学ぶ上で重要な点を指摘する。

民主主義と学問の源流、ギリシャ

リベラル・アーツを直訳すると自由の技芸という意味である。その源流はギリシャ人にある。ギリシャやローマにおいて自由民が身に付けておくべき学問や技芸を指す言葉であった。現代的に言い換えると、自由であるための技術、自由を行使するための技術である。だから、そもそも自由とは何か、自由にどのような価値があるのか、様々な幸福と自由がどう関係するのか、自由がどのように犯されるのかを知ることが、リベラル・アーツの出発点となる。そして、自由民であるギリシャ人が採った政治体制が、民主主義の一形態である共和制である。共和制とは、王がほとんどの権限を独占する専制君主制とは違い、自由民が総意で主権を行使する政治体制である。

そして、専制君主制ではなく共和制を採用し、自由民であることを誇りにしたギリシャ人から、政治だけではなく知識においても人の権威を否定したソクラテスのような人物が現われた。上述した論理学を発展させたのもギリシャ人だった。これらは偶然ではない。一人の人間が説明なく何かを決めるのでなく、正確かつ客観的な議論で互いに納得のいく結論を導き出す、そのような民主的な自由民の習慣が論理、ひいては学問を発展させたのである。法律を尊ぶのも、一人の人間の決定よりも、皆で決めたことを尊ぶからである。信仰・思想信条の自由を尊ぶのも、一人の人間の決めた幸福よりも、皆が互いの幸福を尊重するからこそである。これらは、個人の自由と民主主義なくして、信仰・思想信条の自由もない、法治主義もない、学問の自由もない、経済の自由もない、経済発展もないという、現代の民主主義、資本主義の基本原理である。

民主主義に必要とされるリベラル・アーツとは

民主主義とは、文字通り民が主となる政治制度であり、その前提に民の自由がある。その自らの自由を守り、行使するための、自由民の一般教養がリベラル・アーツである。つまり、自由民を自負する人々だからこそ、西洋においてリベラル・アーツは現代でも一般教養なのである。各時代、各教育者によってリベラル・アーツの具体的な内容は異なるが、現代におけるリベラル・アーツを考えたときに、この一連の記事の第4章までの学科は少なくとも必須である。つまり、道徳と宗教に対する理解、論理と科学に対する理解、法律とくに自由と民主主義に対する理解、文章と語学と議論の能力である。民主主義を支えるためには、他者の主張の正誤を判断できなければならず、さらに自分も正確に考えて、それを正確に伝えなければならない。これらの学科は、それを国際化する社会で実践するのに必要である。

民主主義、資本主義は現代の日本の社会制度である。自由の価値、強さ、危うさを知り、自由を守り、発展させるのは日本国民である。だからこそ、リベラル・アーツは日本において広く一般教養として学ばれる必要がある。さらに、バブル崩壊後の停滞の教訓として技術を覚えるだけではなく生み出す必要があると考えれば、これからの日本にとってはより大切な考え方になったといえる。くわえて、経済格差が個人の自由と民主主義を脅かしている世界的な状況を鑑みると、その経済格差の是正の手段が個人の自由と民主主義を脅かすという本末転倒にならぬように、民主主義の秩序と手続きによる理性的な格差是正を行うためにも、国民一人ひとりがどれだけリベラル・アーツを持てるかが重要な時代に入っている。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
最終修正日:2017年3月17日