学問と論理6(合理主義の定義1) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

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3-1‐2.合理主義

3-1‐2-1.定義

学問、とくに科学や法律は現代社会を支える土台であり、その知識の正しさはこの高度で複雑な社会を支える基礎となっています。逆に言えば、その知識の正確さゆえに、高度で複雑な現代文明を人々は築くことができました。そのため、学問を学ぶ前に、あるいは学ぶ中で、現代における学問が必要とする物事を正確に考える力を身に付けなければ、いくら学問の中で紹介された知識を覚え、理解したつもりになっても、正確な理解による知識の応用や、さらにその先の新たな知識を発見していくことは、なかなか難しいと言わざるを得ないと思います。物事を正確に考える力、あるいはその方法論は、決して漠然とした内容ではなく、歴史的にそのような考え方、方法論が具体的に提唱されたことによって、人々の物事を正確に考える力が増加し、学問の発達が増進されてきたという事実があります。

たしかに、これから紹介するような物事を正確に考える方法を学んでいなくとも、現代の学問を学ぶ中でそれらの方法は、当然、現代の学問の中に含まれていますので、自然と身に付いていく側面はあります。しかしながら、物事を正確に考える方法をある程度、意識的に学ぶことは、高度な学問的探求を行おうとすればするほど、新たな分野を開拓しようとすればするほど、そして、答えが一つに定まらないような実際の多様な物事の問題解決に取り組もうとすればするほど、役に立ってくるのではないかという気がしています。そして、その物事を正確に考える方法というのは、一言で言えば合理主義と呼ばれる言葉で表すことができるのではないかと感じています。合理主義という言葉には、様々な人々の立場によって様々な意味合いが含まれていますが、大まかではありますが、できるだけ曲解のないように、これから私なりの説明をした上で、さらにその歴史を紐解いていきたいと思います。

合理主義の最も簡単な定義は、疑問を持って確認しながら考えること、と言えるのではないかと思います。これをより良く捉えると、謙虚に問い誠実に確認しながら考えること、と言い換えられと思います。つまり、人や自分の能力の限界、小ささを知って、その知識を過信せず、分からないことは分からないと認めながら、そして、分かっていると思うことでも、できる限り知識の正しさを確かめながら考えることです。

人は多くの場合、子供の頃は自分は何も知らないと思って謙虚な側面がありますが、成長するに従い多くのことを学んでいくことで、自らの知識や能力を過信しがちになります。さらに、初めは不思議に思ったり、疑問に思っていたことでも、何度も繰り返し教えられると、間違ったことでも正しいと思い込める性質があるのではないかと思います。伝統的な慣習や習俗、権威ある人の意見など、疑問を持たずに従っていれば、それなりの利益が見込める事柄については、なおさら、この傾向が強くなるように思います。そうでなくとも、大して自らの利益と関わりのなさそうなことについては、たとえ子供の頃には興味を持っていたことでも、大人になるにつれてどんどん興味を失っていくものです。当たり前、知っていると高を括って、興味を失っていく対象が、本当に無価値でつまらないものであれば良いのですが、多くの場合、それは人の限界でもありますが、良いものも悪いものも、何も知らないうちに興味を失っていきます。

そこで、このような人の性質にそのまま従ってしまえば、良いものは自らの知識からこぼれ落ち、誤りを抱えた知識が分別なく自らの考えに入り込んで定着していく可能性があります。結果として、役に立たない偏見だらけの考え方に陥ってしまうことも、残念ながら少なくはありませんし、そこまでとは言わなくとも、気付かぬうちに失敗の芽をたくさん抱えてしまうことになりかねません。それを防ごうというのが合理主義という考え方で、何事でも知っていると高を括らずに興味を持ち続け、とくに何かの知識を学ぶ際には疑問を持って、その正しさを確認しながら学ぶことで、人は間違いを減らし、たくさんの質の良い知識を学んでいくことができるのではないか、と考えます。




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公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
修正日時:2018年3月02日 新しい内容を追加して、ページを分割。
最終修正日:2018年3月02日

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