学問と論理2(法律の必要性2) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

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このような法律の運用は、古代ローマ社会でとくにその巨大な帝国の運用に大きな威力を発揮し、現在の欧米社会にまでその法治主義の重要性の理解が引き継がれてきました。日本社会においては、その明らかな導入と運用が明治時代に入ってからと、歴史的に浅い背景もあって、法律への理解や法教育の重要性が浸透し切っていないように、少なくとも現在2010年代までは、そのように見受けられます。明治時代以前、当然、日本にも法はすでにありました。しかし、それは、算術の分野で様々な計算は発展していても、数学のような論理や体系を重んじる姿勢が算術にはなかったのと同じように、合理性を突き詰めていく姿勢において、西洋の法律との間には決定的な違いがありました。その姿勢の違いが、残念ながら現在でも一般的には色濃く残ってしまっているのではないかと感じています。

社会に存在する様々な制度、例えば役所、学校、病院、会社、結婚、相続、売買など、ありとあらゆる社会的な活動、社会制度には、それを規定する法律があり、その法律に基づいて社会人は行動しています。例えば、メール一つ送るのであっても、商売としてメールを送るのであれば、誰にどんな内容を送るかよりも前に、誰にどんな内容のメールを送ってよいかを関連法令を確認してから考え始める必要があると思います。法律で禁じられている内容を考えても結局は使えないので、それは無駄な労力となるからです。実際に、関連法令としては、迷惑メール等を防止するための細かい規定がいくつかの法令にあったかと思います。大事なことは、どんな社会的な活動を行うにせよ、必ず関連法規があるだろうと想定して、関係しそうな法令にきちんと目を通すことだと思います。

別の観点から見ると、明治時代に西洋の学問を導入するために創立された大学には、それぞれ明確な目的を持っているものが多いのですが、その一つの大きな分野が法律でした。例えば、現在も残る中央大学、法政大学、明治大学など、法律大学校として建学された一群です。それは、法律こそが西洋において近代的な社会制度を成立させている要の学問であると、明治の人々がすぐに理解した結果であると言えます。法制度の導入の際には、様々な試行錯誤と創意工夫を行いながら、日本の社会風土に合うようにそれを整えた一面もありますが、一方で、近代化に必要なために、それまでの日本の習俗とは異質な制度も沢山、導入され、その中には不用または工夫の余地のある制度まで、一律に導入してしまった側面もあるように思います。そのせいか、法教育の不足という以前に、法律嫌い、自らの理想や信条と社会で実際に施行されている法律が一致しないことも当たり前という姿勢が日本人には根深く残っているように感じます。これは、先ほど指摘した表裏や内外の不一致であり、予測可能性を損ない、社会制度としては致命的な欠陥になりえます。
  
さすがに海外進出を果たしている大企業や長年、上場を果たしている企業においては、法令の遵守に対する意識や体制はきちんと整っていることが多いですが、そうであっても運用実態と法令の精神が乖離している場面は多く見受けられますし、経営者の契約に対する理解不足が倒産の原因となる場面もしばしば見受けられます。中小企業や創業間もない企業においては、なおさら、日本的な曖昧さ、交渉の余地を好む姿勢が、その事業展開において大きなリスクとなっている場面を多く見聞きします。さらに、そもそも法知識を十分に備えた人材の少なさから、組織の運用や資金繰りの面で、ベンチャー企業の育成が阻まれている印象すらあります。小さな活動ならば良いのですが、多少なりとも公に広がりを持つ社会的な活動を行うのであれば、手間と時間をかけ細かな法律を遵守し、綿密な想定の基に契約を作り上げた方が、その活動が成功する可能性も高くなること、法律や契約にはそれだけの価値があることを理解することが大切だと思います。

経済活動以外でも、日本の司法制度には多くの問題点を指摘する声があり、それは組織の上下に関係なく、一部の思慮に欠けた人々のみならず、組織の習慣としての問題点を感じることもあります。とくに冤罪については、自白偏重の捜査手法と共に、ほんの一部の捜査関係者の遵法意識の低さも背景にあると思われ、冤罪に巻き込まれないためにも市民の側に法知識の充実が必要になります。冤罪とは別ですが、これまでの実体験としては、現場の警察官の方々に法的な質問をしても満足のいく返答を受けることは、あまり多くはありませんでした。市民の窓口となるべき警察官が、法律の学習に取り組める時間を十分に取らせてもらっているのか、時に疑問を感じます。そのため、法的な質問や手続きの依頼を警察官の方にする場合には、かなり相手の能力や人柄を見極める必要を感じており、市民の側の法知識の有無を明確に示す必要もあるかと思います。これまで法令と実態の乖離によって適正な競争環境が保たれていない、つまり、法令を守らない人々の方が得をする現場を、数多く目撃してきましたし、それは日本経済の成長の阻害要因になっているのだろうと感じています。

以上のように、社会で何らかの活動をするには法律を学ぶ必要があり、社会で何の活動もせずに生きていくことはできないのですから、必然的に皆が法律を学ぶ必要があると思います。しかしながら、少なくとも私の場合は理系だったせいか、小中高で法律という授業を受けた記憶がありませんし、政治経済、現代社会、公民などの授業でも法制度や法概念を深堀して学んだ記憶は、あまりありません。残念ながら、現在の日本の義務教育では、法教育が決定的に欠けている印象を受けますので、小中高で習わないからといって必要ないと思うのではなく、自ら課外の時間に良い先生や良書を見つけて法律の基本を学んでいく姿勢が大切になるのだと思います。




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公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
修正日時:2018年2月15日 新しい内容を追加して、ページを分割。
最終修正日:2018年2月15日

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