5.対象と関係、関係論理 -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

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このページの内容は次の通り。
・対象の必要性と独立した対象の不存在
・関係の必要性と相対性
・対象は関係によってのみ規定される
・関係論理
・命題論理は関係論理
・結語

第3章で物事を正確に考えるための方法論が、学問の基礎となっていることを紹介した。その方法の基本は、どんな知識も完全に正しいことはないと知ることであった。さらに、だからこそ、不明確な知識を一つ一つ問うことで明確にしていくことが、知識を正しいものに近づけていくことになる。そして、知識を問う方法には、知識を全体で捉えず部分に分けたり、比較して同じところと異なるところを分けたりするなど、様々な手法がある。ここでは最後に、私が考えた知識を問う手法、具体的には知識を対象と関係に分けて考える手法を説明したい。

対象の必要性と独立した対象の不存在

物事を考えるときには何を考えるのかをはっきりと決めなければいけない。それを考える「対象A」と呼ぼう。ここで、考える対象を明確にすることが、考えることの前提であることに注意したい。考える対象を定めないということは、何を考えているかも分からないことと同じだからだ。ただ、その対象Aがあるということだけでは、その対象Aのことは何も分からない。なぜなら、対象Aだけを考えるということは対象A以外に何も考えないということであり、それはつまり、対象Aしか存在しない世界を考えるということである。それでは対象Aであることの区別もその存在さえも確認することはできない。

例えば、あなたは今、地面に立っていて、友人と話すとおもしろくて、空を見ることが好きだとする。そうすると、地面も友人も空もない世界では、あなたのこれらの特徴は現れない。けれど、地面と友人と空があれば、あなたのこれらの特徴を確認することができる。さらに、友人は、地面に座っていて、あなたと話すとつまらなくて、空を見ることが嫌いだとすると、それがあなたと友人との区別にもなる。

地面も友人も空もない世界などないのだから考えても仕方がない、とあなたは思うかもしれないが、今ここで議論しているのは実際の世界ではなく、実際の世界から抜き出された考える対象のみの世界である。物事を考えるときに一度にすべてのことは考えられない。一度に考えられることはぼんやりとであれ、はっきりとであれ、実際の世界からするとほんのわずかなことだけである。

同様に、あなたを考えるときに、あなたの顔や手や友人との思い出、その他諸々のあなたの必須の特徴を抜きにあなたを考えることはできない。だから、あなたしかいない世界を考えることはできないと思うかもしれないが、それはその通りで、あなたしかいない世界は考えられない。しかし、あなたを考えるときには、あなたの顔や手や友人との思い出、その他諸々の必須の特徴を、その一つ一つを何を考えて、何を考えないのか、あなた以外の対象として明確化して考える必要があるのだ。

関係の必要性と相対性

このように、対象Aを考えるためには、少なくとも他の対象Bを見つけて、対象Aと対象Bがどう関わり合っているかを考える必要がある。それを対象Aと対象Bの「関係C」と呼ぼう。例えば、あなたが、立っていて、話すとおもしろく、見ることが好きなのは、地面、友人、空という対象で、これらはその対象とあなたとの関係である。さらに、あなたは、地面に話すとおもしろく、友人を見ることが好きで、空に立っている、のではない。つまり、立っていて、話すとおもしろく、見ることが好き、というあなたを特徴付ける関係は、対象によって異なり、相対的に決まることも分かる。

対象は関係によってのみ規定される

この関係による特徴付けを推し進めると、対象はその対象に紐づけられた関係によってのみ規定され、対象は名付けとそれらの関係を紐づける役割だけを持つようになる。どういうことか。対象Aを問う、つまり考えるということは、実際の対象Aの内容について、その他の対象B1、B2、B3・・・と対象Aとの関係C1、C2、C3・・・を見い出していくことである。この括り出しによって、実際の対象Aの内容は考える対象として明確化される。そして、考える対象としての対象Aは、明確化された対象B1、B2、B3・・・と関係C1、C2、C3・・・しかない。なぜなら、他に実際の対象Aの内容があったとしても、それは考える対象として明確化されていないのだから。そうすると、考える対象としては、対象Aは対象B1、B2、B3・・・と関係C1、C2、C3・・・によってのみ規定され、対象Aはそれらの関係を紐づける名付けの役割しか果たしていないことになる。つまり、対象が関係によってのみ規定される、関係中心の考え方ができる。

同様の括り出しが対象B1、B2、B3・・・にも行われるし、関係C1、C2、C3・・・も関係であると同時に考える対象であるから、同様の括り出しが行える。そうすると、物事を正確に考えるということは、新たな対象と関係を見出し、さらにそれを対象として、新たな対象と関係を見出していくことの繰り返しに他ならないことが分かる。対象と対象の関係が見い出され、紐解かれたときに、物事の正確な理解ができたと言える。

関係論理

これをより正確に、論理という形で表現することもできる。つまり、関係は正誤の判定の対象となりえるので、命題と考えることもでき、命題を関係に置き換えた論理、つまり、関係論理を考えることができる。上述のように、対象は名付けの役割のみを果たし、関係こそが物事の本質なので、物事を論理的に理解するとは、物事の関係を正誤を明確にしながら紐解くことと同じであることが分かる。

命題論理は関係論理

考えと表裏一体である言葉について考察すると理解はより深まる。言葉と物事には直接的な対応関係がある。さらに、物事の中に成り立つ関係があり、言葉の中に成り立つ関係があり、その両者にも対応関係がある。もしも、ある単語について、物事との対応関係と他の言葉との関係を切り離せば、その言葉は何も意味せず、ただの記号になる。つまり、言葉の意味は、これらの関係によって成立し、規定されている。命題は言葉によって作られており、言葉の意味は物事と他の言葉との関係によって作られている。それはすなわち、命題が言葉の持つ関係によって作られていることを意味する。ここで、言葉と物事には直接的な対応関係があるので、命題は物事の関係によって作られていることが分かる。

結語

以上のように、すべての対象は他の対象なくして存在せず、他の対象との関係によって規定される。よって、物事を考えるときには、物事を対象と関係に分けて考えればよい。そして、関係を考える対象としてもよく、複数の対象と関係を新たな考える対象としてもよく、逆に対象の中に新たな対象と関係を見い出してもよい。複雑な物事を考え、分析し、整理するときには、このように自分が考えている対象とその関係を明確にすることが大切である。そして、そのすべての対象を問うことが大切である。それらを言葉と図に書き起こしてみるとよい。(参考:対象と関係について、より詳細に

最後になるが、第3章より正しさを得るためには理由が必要であるということを学問の前提としてきた。その前提こそが、道徳や宗教が学問とは大きく異なる点であることを指摘しておく。つまり、学問は仮定を仮の正しさとするが、道徳や宗教は正しさを理由なく受け入れるところから始まる。愛に理由はなく、理由を問い続ける不完全な学問では、人は不完全な幸せしか手に入れられないだろう。

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公開日時:2016年9月5日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。
最終修正日:2017年3月17日