道徳と宗教5(学問と宗教の違い2) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

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では、数学は根拠が絶対的であるから最も学問らしいかといえば、それはまったく間違いです。数学も根拠を辿れば、必ずその仮定、前提に行きつきます。例えば、三角形の内角の和は180度という主張があったときに、三角形とは何かと問われれば、三つの点を直線で結んだものと答えられ、直線とは何かと問われれば、点と点を最短距離で結んだものと答えられ、距離とは何かと問われれば、空間の定義が必要となります。そして、空間の定義次第で、三角形の内角の和は180度とは言えないことに気づかされます。たとえば、地球儀の赤道に対して、北極から90度に2直線を下ろしてください。その直線と赤道がなす角も90度になります。そして、確かにその2直線は北極から赤道に対する最短距離になっています。それなのに、3点のなす角は180度ではなく、90×3で270度になっています。つまり、球面のように曲がった空間の『中』では、2点間の最短距離を直線としても三角形は180度にはならないのです。つまり、三角形の内角の和は180度という主張も、絶対的に見えて、実は空間が曲がっていないことを前提とした主張だったのです。では、あなたが今いる空間は本当に曲がっていないのでしょうか?結論としては、曲がっていると考えた方が正確に物理現象を説明できます。このように、空間が曲がっていないという前提を根拠なしに認めて、初めて三角形の内角の和は180度という主張が正しいと認められて来たのです。

ここでは、三角形の内角の和は180度という主張を取り上げましたが、上記のように論理を遡ることが、すべての数学の主張において同じように行えます。数学は、できるだけ誰もが正しいと思える例えば「空間は曲がっていない」というような平易な主張を仮定にして、より複雑な物事に対する主張の正誤を明らかにしていきますが、根本的にはやはり、根拠のない主張、仮定に基づいた学問と言えるのです。そうであっても、根拠なく主張をするのではなく、より確からしい根拠を示して主張をするというのが数学であり、その他の学問にも共通する点であると言えます。

一方で、宗教は確かに様々な事例や証明を挙げて教義を説明する場合もありますが、文学のように、人の生き方のような、そして文学以上に複雑な物事を対象にして主張を行っているので、根拠を挙げて証明をするということには重きを置かず、初めから前提を示し、つまり、主張が分かるか分からないか、信じられるか信じられないかということに重きを置きます。ある意味で芸術のように、あなたはこの絵を美しいと感じるか感じないかで、それ以上の選択肢がないのです。それは、根拠を示しても結局は前提を信じるか信じないかに帰結されるからであり、議論をしても前提を認めなければ不毛な議論になるから、とも言えるのかもしれません。つまり、神様がいると思える人には思え、思えない人には思えなく、欲に捉われない方が幸せと思える人には思え、思えない人には思えないわけです。このように、学問と宗教では、主張について根拠を示すか示さないかというところに、大きな方法論としての違いがあります。それは、文学と科学の方法論が違うように、扱う対象が異なるので仕方がないことと言えます。

最後に道徳・倫理と宗教の違いについて触れてみたいと思います。宗教に属さないと思われる道徳や倫理について、実際にそうであるかは別として、例えば哲学的な倫理学や伝統的な道徳観というものがあります。まず、哲学的な倫理学について考えると、それを学問として捉えるならば、上記の根拠の有無に宗教との違いを見い出すことができるかと思います。そのため、数学の議論と同じように倫理学自体に仮定、根拠の不完全さを認める必要があります。もしも、認めないのであればその倫理学は宗教に近いものとなるかと思います。例えば、その境界にあるのが儒教のような宗教のような学問であるかと思います。伝統的な道徳観でもそれは同じで、根拠なく通用している習慣やしきたり、掟というものがあれば、それは宗教的な教義と似ていて、違いは誰が主張したのか、しているのかが曖昧になっている点のみと言えます。

哲学的な倫理学の場合には、一見、客観的な分析をしているようであっても、様々な宗教の教義の比較であったり、教義に基づいた主張であることも多く、逆に、独自性のある主張であればあるほど、根拠の曖昧な学問としてではなく、宗教として受け止めた方が有用なのではないかと感じるものもあります。さらに、伝統的な道徳観の場合には、その社会が培った独特の道徳観と共に、様々な宗教の教義の影響をその中に見い出すことができることも多くあります。したがって、哲学的な倫理学や伝統的な道徳観が明確な主張を有するようになると、いわゆる宗教との線引きは曖昧になる傾向にあると感じています。




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公開日時:2016年8月25日
最終修正日:2018年1月6日

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