国語と数学を学ぶ必要性と勉強方法

このページの内容は以下の通りです。
・現代における国語と数学の重要性
・数学を学ぶ必要性
・数学の勉強方法
・国語を学ぶ必要性と勉強方法

現代における国語と数学の重要性

人類の文明の発達の歴史は、国語(言語)と数学の発達の歴史といっても過言ではありません。人は言葉があるから物事を考えることができ、記憶することができ、他人に考えを伝えることができます。その意味で、玉石混交ではありますが、国語は人間にとっての生きるための知恵の結晶とも言えます。そして、人は数えることができて初めて、物事の量を正確に比較することができるようになりました。数は、この世界の物質的な側面において、おそらく普遍的に成立するだろう法則の初めての発見であり、その知恵は、同様の発見をこの世界の様々な側面において、そして様々な個別の領域において促し、科学という学問の発展を後押ししてきました。

現代社会においてもこの現実は何も変わっていないどころか、社会を支える様々な学問の基礎となっている国語と数学の重要性は、益々高まっています。ただ、各学問領域は高度に個別的に発達しているために、各学問が社会で果たしている役割も各学問の中で国語と数学が果たしている役割も、少し分かりにくくなっているかもしれません。つまり、学問が多くの専門分野に細分化され、門外漢からは理解しづらくなっているのです。

しかし、現代文明の発達をたどりつつ、学問の基礎、つまり国語(言語)と数学の基礎をきちんと身に付ければ、各学問への敷居は下がり、それらの研究を発展させる底力が付くことになります。現代文明の発達と学問の関係についてより詳しくは、興味があれば本サイト記事のなぜ学び、何を学び、どう学ぶのか【目次】や弊社サービスのリベラル・アーツ(教養)を学ぶ【キーワードフォルダ】も参照してみてください。




数学を学ぶ必要性

そろばん以上の数学など使わないし、どうして数学を勉強する必要があるのかという意見をよく耳にします。このような意見に対して、私が内心思わざるを得ないのは、「現代で最も重要とされる考え方の一つを知らないのかもしれない」、「知らなければ何事もその重要性は理解できないのだから仕方ない」、ということです。数学の考え方あるいは数学の知識を知っていればアプローチが違っていたということは、大なり小なり仕事、生活の様々な場面であるのです。

数学は、算術ではありません。その大きな違いは、数学の考え方にあります。数学の考え方とは、つまり合理的、論理的に物事を考えるということです。合理的にとは、何かを考えるときに、それは「なぜ?」「本当に?」と疑問を持ち、誰もが納得の行く根拠や理由を確認しながら考えることです。論理的にとは、物事を多面的に細分化しそれらの関係を整理して、主にその推論関係を中心にして、簡単に言い換えると「〜だから」と理由を付けて、考えることです。

算術は様々な過去の文明に見られましたが、合理性や論理性を重んじた数学が生まれたのはギリシャ文明でした。おそらく、ギリシャ時代に自由を誇った人々は、他人の意見を自分が納得しない形で受け入れ、従うことを拒んだのでしょう。そのため、互いに納得のいく理由を示し、互いに議論をして話し合うことで物事を決めざるを得ませんでした。その過程で、相手を納得させる手法として、論理学やその他の学問が発達したものと考えられます。数学はその模範とされました。それは、数学の持つ、誰でも目の前でその正しさを確認できるという性質ゆえのことであると思います。ギリシャ文明の終盤に編纂されたユークリッドの「原論」は、誰でも認めざるを得ない仮定、例えば「同じものに等しいものは、互いに等しい」などを公理として、それらだけを根拠に推論をすることで、反駁の余地のない理論を構築しようと試みました。

時代を下って、近代においてはデカルトがこの数学的な考え方を一つの模範として、様々な迷信、誤解、偏見を排除した「合理的な物事の考え方」の一類型を提唱しました。それが合理主義として、実際に数学を用いるか用いないか、定量的か定性的かを別にして、完全ではありませんが近現代社会を支える一つの模範的な物事の考え方として通用しました。したがって、数学を通して「なぜ?」「本当に?」と疑問を持って物事を考える習慣を身に付けるということは、古代ギリシャの哲学者からユークリッドに、ユークリッドからデカルトに、デカルトから現代に受け継がれた、現代社会で必要とされる「考える力」を養うための最も筋の通った学習法と言えるのです。それはすでに、ギリシャ時代に学問所であるアカデメイアに「幾何を知らざる者、入るべからず」と掲げられていたという伝説と同じ理屈であろうと思います。

ちなみに、近頃の日本の教育改革で必要とされる「考える力」とは、ここで述べた「考える力」以外の何物でもありません。つまり、物事の本質を自由に、自分の好奇心を大切にして、「なぜ?」「本当に?」と考えながら学習を進めて行くことが、漠然とした未知の世界を整理し、正確に表現する論理性や、他にない新しい考え方を発見する独創性につながるのです。これをデカルトの言葉で表せば、より高等な概念ですが「真理の探究」であり、デカルトの「真理の探究方法の序説」さらに略して「方法序説」という現代でも広く読み継がれている本の内容と一致する、とまでは言えませんが、不正確ながらその内容を優しく表現しているとも言えるのです。

一方、数学の知識自体をどう活かすかという点については、「数えること」と相容れない分野は厳然としてあり、決してなくなることはありません。しかし、数学、コンピュータが非常に発達した今日では、多くの分野に「数えること」が進出しています。そして、「数えること」を導入することで劇的に分野が変わること自体が、科学の発達史でもあるのです。つまり、「数えられる」とは、「検証できる」と同じ意味であり、占星術を天文学に、錬金術を化学にしたように、仮定を検証できるようになることが、ある分野を科学的な学問へと変貌させてきました。それは、古代ギリシャで数学が、誰でも目の前でその正しさを確認できるという性質を持つゆえに、論理的な学問の模範とされていたことと同じ理屈であると言えるかと思います。そこには、数学自身の拡張と、数学の持つ論理性の拡張と、数学の適用の拡張など、様々な段階・側面での数学の応用的な発展が潜んでいます。さらに、科学において数学がいかに重要かを話しましょう。

ガリレオ、ニュートンが成功したこととは、物理現象の説明に数学を導入したことです。逆に、数学の視点からすると、個別的な物理現象の法則を数学に追加したとも捉えられます。どちらにせよ、物理現象を数えられるようにする新たな「枠組み(原理)」を発見できたことが画期的だったわけです。その発見の前には、「枠組み」に適用するべき数学が必要となります。それが具体的には、ニュートンの場合には、デカルトの代数幾何、あるいは直交座標と言えます。さらに、「枠組み」と同時に、「枠組み」に適用するべき数学として微分、とりわけ積分を発見してしまったところが、ニュートンの卓越した能力を物語っています。

このように、物理現象の説明のために数学が発展すること、他方、先にあった数学が物理現象の説明に適用されること、このどちらの場合もあり、両者には不可分な関係があります。それは、前述の物理現象の視点から見るか、数学の視点から見るかという単なる視点の違いと似ていて、どちらであっても「世界の物質的な側面において、おそらく普遍的に成立するだろう法則」を探究していることに違いはないのです。つまり、数学や科学という学問の大きな枠組みから見れば、既にあるもので説明できるならそれを使おう、あるいは、ないのであれば新た作って追加しよう、という違いに過ぎないわけです。しかし、大事なことは基礎となる数学が確立されずに物理現象を正確に理解することはできないということです。例えば、ニュートンに続く偉大な発見をしたアインシュタインの場合にも、一般相対性理論には非ユークリッド幾何学の発展が不可欠でした。

以上のような学問の数学・科学への編入、あるいは学問における数学的基礎の確立の重要性は、物理に限った話ではないということです。20世紀に入り、大学制度が世界中で整うことにより現代数学は爆発的に発展しました。くわえて20世紀後半にはコンピュータが著しい発展を遂げることで、既存の自然科学の領域以外にも、社会科学のあらゆる分野に数学が適用されています。例えば、ウォール街が開発した複雑な金融商品の価値計算には、伊藤清の確率論とコンピュータの計算能力が不可欠でした。さらに、「世界の物質的な側面において、おそらく普遍的に成立するだろう法則」において、「数えること」に次ぐ普遍性を持っているのではないかと感じられる群論は、すでに「数えること」とは異質とも思える人類学にまでその応用が見出されています。まさに、数学がその機能を拡張しながら、「数えること」を中心としつつも、「数えること」を超えて、「世界の物質的な側面において、おそらく普遍的に成立するだろう法則」を探究する学問として発展し、急速にその応用範囲を広げていると言えます。この流れは今後、さらに加速していくことになります。

ここまで物事の考え方における数学の重要性、学問や科学における数学の重要性を説明しましたが、現代社会において合理的に、論理的に考えることを必要とされない仕事や学問は少く、科学技術と切り離された生活もほとんどないと言ってよいでしょう。複眼的に考える視点も含めて、合理的に、論理的に考えられることは、どんな仕事においてもその成功を近づけるはずです。さらに、どのような職種であっても少なくとも間接的には科学技術と隣接しています。その際に、その人が身に付けている数学の知識量により、科学技術を理解して、いかに正確に速く使いこなせるかが決まり、さらに応用することができるのかが決まります。学問を変えてしまうのと同じように、生活、仕事を劇的に変革する力が数学にはあるのです。

数学の勉強方法

どのような学問も同じですが、数学はことさら論理性を要求される学問です。論理性とは、一言で表せば考えが正しいか間違っているかを明確にすることです。主張と理由があった時に、主張が正しいか考え、主張の理由になっているかどうか考え、理由が正しいかを考える。物事を全体で捉えるだけではなく、一つひとつのことに分けて、それらが正しいか、間違っているか、自分で理解できているかを問い直します。このような勉強姿勢が、手間がかかるように見えて、結局は一番の近道になります。

初めは時間がかかっても、「なぜ?」「本当に?」「〜とは?」と基本概念を理解しようと試みてください。そして、分かるまで誰かに聞くか、本を調べるか、自分で考えるかすることが大切です。その姿勢さえあれば、あとは解説を読んだり問題を繰り返し解くうちに、数学の知識は自然に習熟していきます。分からないことをそのままにしてしまう人は、いつでも数学が分からなくなってしまう恐れがありますが、分からないことを放っておかず、分かるところまで疑問を持って戻れる人は、数学を得意になるための第一条件を満たしています。例えば、問題が解けなければ、どこかに基本概念を理解していない部分があるので、そこがどこかを改めて問い直します。その繰り返しで、自分が分かるところまで戻るしかないわけです。初めに理解することや途中で問い直すことを省略して、暗記やパターンで済ませてしまうと、何度繰り返し問題を解いても一向に習熟せず、応用や発展に進めずに勉強を諦めてしまう恐れが高くなります。

加えて基本概念を理解したと思っても、問題を繰り返し解く作業を怠ってはいけません。一見、最初に熟考して新しい分野の考え方を理解できたと思っても、実際には多くの理解できていない部分があるものです。さらに、問題を繰り返し解くことで、私のような凡人でも処理能力、計算力が向上します。数学は科学の核心であると同時に、それ自体が科学でもあるので、調査→仮定→検証(証明)というサイクルで研究が進みます。そのため、調査・検証を短時間に正確に行える処理能力、計算力も大きな力になります。したがって、問題を速く正確に解く力を反復練習で養うことも大切なのです。ただし、ある種の受験勉強のように、独特で細々とした公式やパターンを暗記して、一向に先の単元に進まないような状況は、数学や科学の勉強としては不毛としか言えない側面が大きくなっていきます。

以上のように、数学の勉強に必要なことは、「なぜ?」「本当に?」と問い直し、「〜だから」と理由を付けて整理することです。さらに、反復練習で計算力を向上させることで、勉強内容は明確になり、面白くなり、ぐんぐんと数学の力が伸びていくと思います。




国語を学ぶ必要性と勉強方法

人は言葉で考え、言葉で考えを伝えているので、国語はとても大切な教科です。ありとあらゆるものを国語で学べるのですから、ありとあらゆる考え方が国語の題材となりえます。したがって、国語では、つまるところ、さまざまな物事に対する理解、感性を問われることになります。もちろん、読解力、文章力には言葉の基礎的な力、語彙や文法への理解が必要となりますが、その先にはどれだけ広く物事を知り、深く理解しているかが、読解力、文章力の土台に隠されています。そして、それは学問、仕事、何事を行うにしてもその人の能力を左右することになります。

何よりもまず、基礎的な勉強が大切です。つまり、字をきれいに書けること。十分な語彙を知ることです。字をきれいに書くことは、物事を整理して考えるために重要なことです。さらに、自分の考えたことを記録するため、人に正確に伝えるために必須と言えます。語彙を増やすには、辞書をこまめに引くこと、分からない言葉を放置しないこと、これに尽きます。

そして、その上で乱読するのではなく、良書を選んで読解力を磨くこと。さまざまな考え方を知るために多読することも大切ですが、多くの拙い考え方の本を乱読して、拙い考えばかりが身に付いてしまっては本末転倒です。まず、熟読するのであれば、目を見張るような知性のある本を選ぶように心がけるべきで、そのような良書を理解できるまで繰り返し読むことが大切です。基本的な考え方が磨かれていれば、さまざまな物事に対する理解、感性は自然と深まっているものです。世界で、そして日本で、歴史に残る良書というのはそれほど多くはありません。現代社会で重要な分野、そしてその良書となれば、本棚一段も要りません。上述の弊社サービス「キーワードフォルダ」に紹介されている本などを参考にしてください。

さらに、文法と作文方法を学ぶことが重要になります。考える力は文章力に表れます。逆も真です。基本的な文法や作文の方法論を学んでおくことが、分かりやすい文章を書くこと、明快な考え方をすることに繋がります。日本の学校教育では大学教育を含めて、作文(修辞法)をあまり学ばない印象がありますが、その分、言葉の扱い方、文章の構成方法を意識的に学ぼうとする姿勢が大切です。もちろん、一生懸命に作文方法を教えている先生方も沢山いますが、そのような先生方に巡り合っていないのであれば、科学、法律、経済など様々な場面に応じた作文方法を解説した本がたくさん出版されているので、参考にされると良いと思います。

目次
なぜ学び、何を学び、どう学ぶのか
1.道徳と宗教
2.現代社会の文化と文明
3.学問と論理、とくに科学と法律
4.国語と数学と英語
5.対象と関係、関係論理

公開日時:2014年9月11日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。
修正日時:2017年3月22日 「なぜ学び」リンクと「目次」を追加。
修正日時:2017年9月19日 「数学を学ぶ必要性」「数学の勉強方法」に、大幅に加筆。
「そして、その上で乱読するのではなく」の段落に加筆。
修正日時:2019年3月15日 冒頭から「一方、数学の知識自体をどう活かすかという点については、「数えること」と相容れない分野は厳然としてあり、決してなくなることはありません。」まで加筆修正。
修正日時:2019年3月16日 冒頭から文末まで加筆修正。
最終修正日: 2019年3月15日