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学問と論理4(科学の必要性2) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

合理的、科学的な姿勢が、大袈裟ですが日本の至る所で、科学技術、医学の臨床、これまでも取り上げてきた教育や司法、捜査機関、さらに政治、有権者による選択にまで必要であると思います。より多くの人が合理的に物事を考えられる力を養うことができれば、合理主義の考え方や手法を理解して実践できれば、より良い社会の形成にほんの少しでも繋がるのではないかと思います。現代社会は、科学の上に成立しています。ただ、科学の知識を学ぶだけではなく、科学を通して、物事の合理的な考え方を身に付けるためにも、科学は学ぶ必要性があると思います。

学問と論理3(科学の必要性1) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

科学を学ぶ必要性は、たんに科学知識を学び、その習熟を目的とするだけではなく、科学の勉強を通して、合理的に物事を考える力を養うことにあると思います。つまり、具体的な合理主義の考え方や手法を学び、それを科学の勉強を通して意識的に身に付けさえすれば、科学の勉強や研究ほど、合理的に物事を考える力を伸ばすことができる訓練の場はないと思います。その基礎的な能力が結局は、科学研究の成功やそれ以外の分野への応用にも繋がっていくのだと思います。

学問と論理2(法律の必要性2) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

日本社会においては、法律への理解や法教育の重要性が浸透し切っていないように見受けられます。それは、合理性を重んじる姿勢の弱さが、現在でも一般的に残ってしまっているためだと感じています。社会で何らかの活動をするには法律を学ぶ必要があるので、必然的に皆が法律を学ぶ必要があると思います。しかし、残念ながら現在の日本の義務教育では、法教育が欠けている印象を受けますので、学校であまり習わないからといって必要ないと思うのではなく、自ら課外の時間に良い先生や良書を見つけて法律の基本を学んでいく姿勢が大切になるのだと思います。

学問と論理1(法律の必要性1) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

広い意味での学問が、人を人足らせ、社会を社会足らせていると言っても過言でないと思います。その中でも、法律と科学が現代社会を支える重要な学問であること、この二つを学ぶ必要性がなぜあるのかを説明したいと思います。人が二人集まれば、共同で物事を実行するため、互いの利益や不利益を解決するため、約束や規則を決めてそれを守る必要が生じます。組織を運用していくためには、できる限りの状況を想定して細分化し、それを精密に分析して共通の原則を括り出しながら、表裏や内外の不一致がないように心がけ、組織の法律、契約、規則を作り上げて行かなければいけません。結局のところ法律や契約は、内容次第、運用する人次第で、良くも悪くも利用され得るのだと思います。

文化と文明3(現代社会の教育) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

現代社会においては、目標が定まった中で成果を出すことを求められる場面もあれば、良い目標を探し出すことから始めなければならない場面も多くなっています。そのため、知識の検証を省いて習熟を優先させる学習よりも、各人の個性に基づく興味や疑問を大切にして、知識を検証しながら学ぶ姿勢を身に付け、思考力を持った創造性の豊かな学生を育てる教育がより求められています。

文化と文明2(現代文明の基礎) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

現代文明の要となる学問は、主に、明治時代に西洋から日本へ導入されました。これらをより深く知るには西洋の原典を学ぶのが大切です。優れた学問や宗教に国境はなく、どこから生まれたかよりも、今、どこが受け入れ、育んでいるのかが大事で、それを自分たちのもの、あるいは、彼らのものとする価値観ほど、偏見に覆われた態度はありません。

道徳と宗教6(各宗教の概説) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

最後に各宗教について、概説します。世界には多様な宗教、宗派があり、そのすべてを取り上げることはもちろんできませんし、その能力も私にはありません。以下に例示する宗教は、信者数や国際社会、日本社会における存在感、主観的な教義への共感をもとに選択して並べたものです。キリスト教、仏教、神道、イスラム教、ユダヤ教、儒教。

道徳と宗教5(学問と宗教の違い2) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

数学でさえ、根拠を遡れば仮定に辿り着きます。それでも、より確からしい根拠を示して、より不確かな主張を説明するのが学問です。一方で、宗教は根拠を挙げて証明をするということには重きを置かず、初めから前提を示し、つまり、主張が分かるか分からないか、信じられるか信じられないかということに重きを置きます。

道徳と宗教4(学問と宗教の違い1) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

学問と宗教の違いについて考えを深めていきたいと思います。まず、学問にも宗教にも何らかの主張があることが共通点です。一方、学問の主張には、根拠や理由が必要です。そして、各学問によって主張の信頼度には違いがあり、それは検証可能性によって一定の合意が存在しています。